松下幸之助は言っている。「日本はよい国である。よいものがあっても、そのよさを知らなければ、それは無きに等しい」と。

全米オープンテニス女子を制したNaomi Osakaの偉業を、強調しすぎることは無い。心から祝福する。ただ、彼女を盲目的に「日本の大坂なおみが優勝しました」と持ち上げ、自己陶酔に国民を導くこの国の新聞とTVの無知蒙昧は、いかに我が民族に物事に対する物差しが欠如しているかの裏返しでもある。

結論から言おう。彼女の中身は、99.9%アメリカ人である。

AP通信の報道によると、Osaka選手は日本人の母とハイチ人の父の間に日本で生まれ3歳の時に米国に移住。それ以来、フロリダ州を住居としているとのことなので、厳密にいうならば「移民」(米国側からみれば)の如き存在である。トランプが度々取り上げる「不法移民」ではないが。

いや、言うまでもなくすでに米国籍を取得しているのかもしれない。とはいえ、”Japanese”として国際試合に出場している以上、TOKYO2020までにはそれを破棄し二重国籍状態をなくすと思われる。

世界のPanasonic創業者である松下幸之助の言葉を冒頭で紹介したが、彼のいう「日本のよさ」をNaomiは99.9%知らない。3歳からアメリカ在住なのだから当然だ。米ニューヨークタイムズ紙は、彼女の母であるTamaki氏がここ10年以上、日本家族とは “little contact” 即ちほぼ不通状態にあったと報じている。

それがおそらく事実であろうことは、Naomiがほとんど日本語を喋れないことからもうかがえる。優勝後の翌日に行われたNHKインタヴューで冒頭に「イマワ シンジラレナイ。スシ、オイシカッタ」と可愛らしい声で言ったものの、結局それだけ。続いての「大きな舞台にはるほどいいプレーができると思っている」「今月の東京の試合でも頑張りたい」などそれ以外は、完璧な米語。 つまり日本語では言えないということだ。ただ「日本人」として出場している以上、なにか最後に日本語で言わねばならないと思ったのか「キノウノ シアイ カッタ。オウエン アリガトウ ゴザイマス」(5秒)。そしてその後なぜか「コンバンワー ハハハ」「オヤスミー」と、米国アクセントでインタヴュー内容となんの脈絡もないカットが出てくるので、これは演出上、NHK側に言わされたのに違いない。

断っておくが、ぼくはここでNaomi Osaka選手を呵呵大笑するつもりも、卑下する考えも毛頭ない。前述したように、彼女はテニス界の新女王であり、これまでに血の滲むような努力があったであろう事は想像に難くない。ビッグな快挙だ。ただ、極めてプロブレマティックなのは、「では日本人とは何なのか」という根本的な命題が今回の一連の「大坂なおみ報道」からまったく欠けていることである。

単純な話、ぼくにはなぜ彼女が住み慣れたアメリカ国籍でなく、日本国籍で出場するのか不思議なのだ。なぜならばもしも本当に「日本人」としての誇りを持っているのであれば、間違いなくその言語を学ぶはずだからだ。僭越ながらぼく自身は8歳の時、父の仕事の関係で南オーストラリア州に引っ越したが、毎日漢字を20個書かなくてはお小遣いを貰えなかった。小学校は現地校だったが、通常の英語で行われる授業とは別途に通信教育(わずかな量だが)で日本語を学び続けた。日本人としてのアイデンティティを育むためであり、そうしてくれたことに対し親には感謝している。

ところが、Osaka選手はこうした日本人ならば当然行うであろう「母国語」の基礎教育をまったく受けてこなかったと思われる。でなければ、あの訪日外国人レヴェルのあの日本語は説明がつかない。名前こそOsaka = 大阪と、日本の第2都市ながら母親のTamaki氏には娘を日本人として育てる気持ちは毛頭なかった、と考えるのが自然だ。にもかかわらず、なぜNaomi Osakaは日本人として国際試合に出場しているのか。その点が、どうしても腑に落ちない。日本のスポンサーを得やすいとの打算が働いている可能性が極めて高いが、となれば一体「日本人」とは何なのか。所詮はスーパーで売買できる便利な商品にすぎないのではないか、との結論に達しざるを得ない。

たかが日本人、たかがオーサカナオミと言うなかれ。

というのも、言葉と国民は相即不離の関係にあるからである。

少子高齢化で労働者人口が激減しているわが国には今、過去最高の249万人の外国人が暮らしている。今年の6月、政府は2025年までに新たに50万人の外国人を新たに受け入れることを決定した。しかも新たに外国人労働者に求めるレヴェルは、日本語能力試験のN4、つまり「ややゆっくりとした会話であれば内容がほぼ理解できる」水準だが、農業と建設業ではそれさえも不要だとか。

Naomi Osaka選手は世界的なテニスプレーヤーだが、日本語に関してはこの「N4」のレヴェルにさえ達していないはずだ。安倍首相は、彼女と同レヴェルすなわち日本語の会話もままならない外国人を50万人受け入れることを「移民政策ではない」と、不思議かつ荒唐無稽として思えない発言をしているが、その背景にあるのは日本に未だ根強い排外主義だ。ぼく自身は、ファミリーマートや7Eleven一つみても分かるように現在の深刻な人手不足の状況からすれば、外国人労働者は当然ながら大幅に増やすべきだと考える者である。とはいえ、「N4」にも達しない、ほとんど日本語が通じない外国人を受け入れることに対しては反対だ。にもかかわらず政府が事実上それを許可し、どうじに「移民政策ではない」との詭弁に徹していることは「日本人」の定義があやふや千万だからではないのか。日本語ができない人は、日本人にはなれません。それが政府と国民の本音なのに、国際世論および排外的との批判を恐れてか誰も言わない。付け焼き刃は鈍りやすい、と昔から言うがこうした日本人の曖昧な態度が、国家としてのインテグリティを損なうことは明白すぎることだ。

そのご都合主義は、メディアも政府も変わらない。

「保守」とされ、移民受け入れにより懐疑的なスタンスを取る読売と産経にしても、今回のNaomi選手の快挙に関しては「日本人の大坂なおみ、優勝!」といったスタンスで美味しい部分だけを切り取っている。普段は、憲法9条改正とか独立自尊とか国家の誇りとか愛国心を基軸に紙面を作りながら、アメリカ人としてフロリダで事実上育ったNaomi Osaka選手に対してだけは、その日本語力の欠如を問わない紙面づくりに終始しているのはもう滑稽そのものだ。

最新の人口動態調査によると、日本の人口は2018年1月1日現在で過去最大となる37万人減少した。逆に外国人人口は、過去最多となる249万7656人をマーク。後者が今後、右肩上がりで伸びていくことを考えると「日本人」とは何なのかを真剣に我々一人一人が自問自答することが急務ではないか。

ドナルド・トランプ米国大統領の英語力は、小4レヴェルだとされる。

大坂なおみよ、2020年夏までに少なくとも同レヴェルまで日本語を磨いてくれないか?でなければ、ぼくはどうしても先のインタヴューの最後に「コンバンワー」「オヤスミ」と不自然な一言カットを挿入せねば日本人アイデンティティを匂わすことさえ出来ない君を、日本人としては応援できない。だいいち、天照す大神さえもおそらく知らないであろう君が仮に東京五輪テニスで金メダルを取ったところで、君が代を唄えるのか?猫ひろしが、カンボジア国家をまったく歌えなくても構わないが、全米覇者が「母国の国歌をしらない」となれば抱腹絶倒ものですぞ。

最後に松下幸之助はこうも言っている。

「もう一度この国のよさを見直してみたい。そして、日本人としての誇りを、おたがいに持ち直してみたい。考え直してみたい」と。

Naomi, 君はあらためて自分の国籍のほうを考え直してみてはどうだろう?

そして本当に”Japanese”になる覚悟があるならば、くどいようだが言葉だ。

And if you need a tough spartan, strict teacher, you know who to call!

Good evening and good nite!

谷山雄二朗 – Japan Broadcasting.net Editor in Chief