Dear  一雄くん

 

こんにちは。ひさしぶり。元気?!

ノーベル文学賞受賞、おめでとう。

君ならやってくれると、純粋に思ってたよ。まだ作品は読んだことはないけど。

ところで、だ。

文学とはまったく関係のないことなんだが、じつは君はビッグな法螺吹きになってしまったんじゃないのかい? いや、別にうがった見方をしているんじゃないさ。純粋に知りたいんだ。一雄くん、君は本当は日本語ができるのにアングロ・サクソン社会に外国人扱い(今でいうシリア難民)されないため、そう、なるべく自然に溶け込むためにあたかも喋れないフリをしているんじゃないのかい?

テレビ朝日の単独インタヴュー(10/5) 一つとっても、君は日本語で「日本のみなさん、こんにちは」さえ言わなかった。全部、英語だった。うるさい日本人としては、あの一雄くんの振る舞いは大いに傲慢かつ慇懃無礼に感じたよ。生まれた祖国に対する冒涜であり、また軽視以外のなにものでもない。

石黒一雄くん、君は意図的に日本語を避けている。メディア操作をしている。違うかな?

少なくとも探偵「シャーロック・ユージロー・ホームズ」はそう考えているんだ。

なぜか。

だって君はWikipediaによると 1954年11月8日に、被爆地である長崎県長崎市で生まれたということになっている。写真をみても、YouTubeをみてもどうみても長崎区役所の福祉課在勤と言っても十分に通用する日本人の顔立ちだ。というか、当たり前だよね、だって君のご両親は石黒鎮雄氏と静子氏、そう、完全な日本人なのだから。市内の幼稚園にも通ってたらしいね。

そして五歳ぐらいの時、お父様の転勤でロンドン南西43キロにあるGuildfordという街に引っ越した。1960年のことだ。つまり単純計算すれば、フルに6年とまではいかなくとも5年半ぐらいは長崎に住んでいたことになる。

つまり何を言いたいかと言うと、一雄くん、四捨五入して君が日本に6年住んでいたとしたならば、日本語ができないことは100%ありえないということなんだ。だってそもそも君のご両親は日本人なのだから家では、絶対に日本語を喋っていたはずだ。小学校一年生 (現地のPrimary School Grade 1) から現地校で日常言語は英語になったとはいえ、家に帰れば日本語だったはずだ。つまり一日24時間のうち、7時間は英語、残りの17時間は日本語圏にいたということに他ならない。そうした生活が、Primary School Grade 7、つまり小学生の間、12歳ぐらいまで続いたはずだ。

となれば、余程の超若年性アルツハイマー病にでもかからない限り、日本語ができないなどということは考えられない。

ハリウッド俳優のシュワちゃんこと、Schwarzenegger氏でさえ来日すれば「こんにちは!お元気ですか!切れてない」と日本語で挨拶するのに、君はCNNインタビューならまだしもすべての日本メディアに対して「こんにちは」の一言さえ言わない。少なくとも、ぼくは見たことはない。ぼくはね、そんな君に恐ろしく違和感を感じたし、簡単な話、日本をばかにしている風にしか見えなかったわけさ。

 

一雄くん、ぼくが君の法螺吹きぶり(と勝手に思い込んでいる)をここで指摘するのは、それなりの理由があるからなんだ。偶然なんだけど、ぼく自身8歳になって間もなくカンガルーさんの国・オーストラリアのど田舎町ADELAIDEってところで現地校にぶち込まれたのさ。父さんの海外転勤に流れで一家五人そろってSydneyまで九時間、そこから南西に二時間ほど飛んだよ。あ、どうでもいい事だけど偶然我々は共に首都圏のSouth-Westに飛んだことになるね!

とそれはさておき、ぼくも君のように(おそらく)英語がまったく喋れないのに山の麓にある現地校に通うことになった。兄も姉もそうだったさ。つまり上記のように「英語現地校7時間」そして残りは日本語の生活になった。家では100%日本語だった。そりゃそうだよね、君のご両親鎮雄氏、静子氏の母国語が日本語だったようにぼくの両親もそうだったから家に帰ったら「ただいま!」さ。間違えても、映画 “Back to the Future”のマーティのように “Daddy, I’m home!” なんて言うものなら冷凍Aussie Beefの塊でぶん殴られてたっての。(そういう、「日本語がろくに喋れない者は、日本人として失格だ」との哲学を持つ厳粛な大和魂の父だった)

君が渡英したのがほぼ6歳、ぼくが8歳になって三ヶ月後ほどだから、その差は二年しかない。ほとんど変わらない。そうした自らの経験上、君が日本語を喋れないなどということは到底考えられないんだ。Waikiki在住の日系5世 Johnny Yamadaさんや、Cathy Naramotoさんならば英語しか喋れないのは十二分に分かるけど、繰り返すが君は3世でも5世でもなければ「お父さんとお母さんも100%日本人」なんだぜ。どう考えても、欧米メデイアに蔓延している「彼は日本で生まれましたが、日本語はしゃべれません」という空気は、真っ赤な嘘としか思えない。

くどいようだけど、ご両親が日本語を母国語とする日本人である以上、一雄くん、君が高校生になろうと1978年にKent大学英文学科に入学しようと、家に変えれば「一雄、元気にしてた?おかえり」だったはず。だいいちご両親にとっては、大人になってから苦学して身につけた英語より日本語の方が自然だったに違いないから。Wikiによると、お父様の鎮雄氏は1920年生まれで28歳の時に長崎海洋気象台に転勤となり、1960年まで長崎に住んでいたことになっている。つまり、お父様は40歳の時に初めて「英語圏」で本格的な英語を学び始めたわけであり、となればますます「家で日本語を話さなくなる」ことは、麻薬中毒患者にでもならない限りは到底考えられない。

少なくとも、うるさい日本人はそう考える者だ。つまり、君は本当は日常的な日本語を喋れる石黒一雄なのに、あたかも殆どないしは全くしゃべれない「カズオ・イシグロ」を演じているってわけさ。うがった見方かもしれないが。現に、Chu-chueh Cheng氏の著作 “The Margin Without Centre – Kazuo Ishiguro” (PETER LANG International 社 / Bern, Switzerland 2010)の30ページに、こういう記述がある。

“In a conversation with Gregory Mason, the novelist also candidly admits that his Japanese is like ‘ a five-year old’s Japanese’ (メーソン氏との会話の中で、イシグロ氏は率直に自身の日本語が “五歳児の日本語レヴェルだ” と認めた) 

これはどういうことかと言うと、一雄くんが日本語を喋れるということじゃないか。にもかかわらず、欧米社会に「移民としてみられたくない」がために人工的に溶け込まんと、意図的に「わたしの日本語は幼稚園児みたいなので」と異常なへりくだり方をしている。(余談だが、この本では著者は君が6歳の時に渡英した、と書いてある) ただ、前述したようにご両親が日系3世とかではなくれきっとした日本人である以上、そして少なくとも高校生までは親と同居したであろうことを考えれば君の日本語が「五歳児レヴェル」であることなど、到底考えられない。そう、やっぱりぼくはそこに一雄くんの嘘をみる。
いや、君が単に英国人としてそのアイデンティティーを貫いているならば、まったくこのようにケチをつけるつもりはないんだ。しかもノーベル賞受賞で今や、時の人だしね。

にもかかわらず、なぜぼくが敢えて君がある種の欺瞞チックなキャラクターなのではないかと疑問符を投げかける理由、それは一雄くんが今回の受賞後のインタビューで “Japanese identity was helpful as a writer” (10.6) と発言するなど「日本人としてのルーツおよびアイデンティティを絶え間なくアッピール」しているからさ。まあ、おそらくビッグな市場である日本国内での本の売れ行きを伸ばすためだろうけど。

例えば、だ。

10月6日のBBC記事をみてみよう。” Ishiguro- who has written two books linked to Japan – has talked about the importance of his Japanese identity” (石黒は日本と関連性のある本を二冊書いているが、そこで彼は日本人アイデンティティの重要性を語っている)、とある。

 

また、同日付けのNHKニュースは、君のことをこう報じている。

『イシグロ氏は、日本出身であることについて、「自分をイギリスの作家や日本の作家と意識したことはありません。作家は一人孤独に作品に向き合うものだからです。もちろん私は日本からもイギリスからも影響を受けてきましたから、自分自身を国際的な作家と考えたいです”」と述べました。

また、日本へのメッセージとして、「日本の読者の皆さん、とりわけ日本の社会にはありがとうと伝えたいです。私がどのように書いて世界をどう見るかは、日本の文化の影響を受けていると思うからです』

 

 

一雄くん、君はそこまで西洋かぶれの日本人オーディエンスを意識していながら、そして作品の中で日本を幾度となく取り上げながらも、先のANN単独を含め日本メディアへのインタビューで和語で「こんにちは」一つ言わない。表向きな態度とは裏腹に、逆に「日本人としての自分を殺している」わけさ。そして最初から最後まで、英語で答える。繰り返すが、日本人向けのインタヴューで一言も和語を語らないのは、やはりおかしいよ。そして、それをまったく指摘しない日本のテレビ局の連中も意気地なしだね。つまり、だ。君は “Japanese identity and roots” を戦略的に利用し、美味しいところだけを食い逃げしているような気がしてならないのさ。ちょっと狡くないかい?

鎖国思考の日本メディアも、一社ぐらい石黒一雄氏と報じてもいいものを、相変わらず画一的にカズオ・イシグロと扱う。これもまた、明治以来続く西洋コンプレックス以外の何ものでもなかろう。

そして極めつけは、君が受賞後にこうも発言したことだよ。

「川端康成さんや大江健三郎さんに続く作家になれることを喜ばしく思います」

ここまで日本人の血を意識し対外的に宣伝しながら、生まれた国の言葉を事実上まったく社交の場では述べないわけだ。西洋人の羊の毛皮を、決して脱ごうとしない。なぜなんだ、なぜそこまで自分の身体を流れる言葉を、避けるんだ。卑怯者だよ、君!

一雄くんのその茶番、欺瞞そして違和感はなんとも不愉快だが、果たしてそれが日本人のなかでぼくだけが感じていることなのか、それは知る術もない。