Editor in Chief, Yujiro Samurai Taniyama

「あの戦争で日本は負けたが、日本文化は勝利を収めた。これはわたしの確信するところである」

先日お亡くなりになった日本文学のみならず文化全体の巨人、ドナルド・キーン氏が生前、遺した言葉だ。

近頃はアメリカの大統領も、EUのトップもなぜか揃って「Donald」なので紛らわしいが、我々日本人が記憶に留めておくべき唯一のドナルドは、キーンさんである。なぜならば、彼は全身全霊で日本を愛し、その文化を理解し尽くし、その普及のためにその一生を捧げられたからに他ならない。

2011年の東日本大震災を機に、日本国籍を取得された同氏は、ユーモラスな「鬼怒鳴門」という雅号・ニックネームを名乗ったという。そこで、本BLOGでは愛を込めてキーンさんのことを怒鳴さんと呼ぶことにしたい。

幼少期に二度も飛び級し、16歳でコロンビア大学で学び始めたというハンサム青年怒鳴さんは、1941年の真珠湾奇襲攻撃を機にアメリカ海軍日本語学校の門を叩いた。当時それは、UCLAバークレー校内にあったと回顧録で述べている。その後、戦時中はハワイなどの捕虜収容所で日本兵を「尋問」(といっても雑談だったらしいが)したり、ガダルカナル島で散っていった幾万もの日本兵たちの日記を読み、翻訳するのが主な任務であった。

1945年の敗戦から、おおよそ6年半の占領期は、留学生が日本で学ぶことは禁じられていた。よってサンフランシスコ講和条約で、日本が独立を回復した翌年、彼はさっそく京都大学大学院の門を叩く。当時の様子を振り返り、巨人は述べている。「わたしは京都にいることを無上の幸せだと思った。芭蕉に『京にても京なつかしやほととぎす』という作品があるが、わたしはこの句をよく思い出したものである。自分は京都にいるのだが、それはあまりにもすばらしいので夢ではないかと疑うような気持ちがしたのである」。

ぼくが初めて怒鳴さんの名前を知ったのは、おそらく大学生の頃だったと記憶する。それが国民的作家の司馬遼太郎との対談だったのか、本屋で彼の著作をたまたま立ち読みしたのかは覚えていないが、とにかく「ドナルド・キーン」というカタカナの西洋人ながら、完璧な日本語で我が国をまさに「全知全能の神のごとく知り尽くしている」ことに、まさに1000万トン級の衝撃を受けたのだった。しかも、怒鳴さんは決して「怒鳴る」ことなく、あらゆる著作・対談集を通じて明朗闊達かつ物静かにただただ淡々と、日本の本質を語るのだ。

今、手元に彼の「果てしなく美しい日本」(講談社)という一冊の文庫本がある。これは、元を辿ればなんと1958年に英語で書かれた作品であり、敗戦後13年後、そして朝鮮戦争後わずか5年後に出版された傑作だ。しかも、英語で書かれているため世界の「What is Japan, anyway?」という問いに対し、的確に我が国の「すべて」を解説している。しかもこの日本語版には、平成四年7月20日に富山で行われた講演の内容も収録されており、そこではこうも述べている。

「ともかく、日本文化がまだじゅうぶんに世界に知られていないということは事実です。私はもう半生以上にわたって、日本の文学、日本の文化全般にわたって勉強しながら、このような偏見と戦ってきました。まだ、勝利を得ていないのですが、これも時間の問題でしょう。仮に私が勝利を得なくても、私の弟子たちは必ず得ると思います。ともかく、このすばらしい日本文化をもっともっと世界に広めたいという望みを私は持っていますし、これからもそのために努力を惜しまないつもりです」

Japanを愛するひとりの日本人として、ドナルド・キーン氏のこの言葉はぐっと胸に突き刺さる。感激じゃないか。僭越ながら、彼が海外読者向けに前著を出版したちょうど60年後にあたる2018年の暮れに、ぼくは “Master of Japan“を、これまた英語で外人向けにリリースしたのだが、怒鳴さんの「果てしなく美しい日本」が参考文献の一冊であったことは、言うまでもない。そう考えると、在野の即興詩人・谷山雄二朗ごときであっても「キーン氏の弟子」にぎりぎり該当するかもしれない、との迸る想いが込み上げてくるのだ。

ただ、残念ながら今日にいたっても我々日本文化が勝利を得たとは到底言えまい。たしかに、アトムの手塚治、ドラえもんの藤子不二雄、千と千尋の宮崎駿をはじめとするビッグネームのおかげで今やANIME, MANGAは世界語にはなった。お寺や神社には、3000万を超える訪日客が押し寄せる。春には、桜の開花をめがけて数百万もの外人がなだれ込む。しかし、ここで極めて大切なことは果たしてそこで我々日本人が「なぜJapaneseは、花見をしながらお酒を飲むのか」という本質的な外人たちの問いかけに対し、明確に英語ないしは中国語、韓国語で解説できるか否か、ということだとぼくは考える者である。

ただ訪日客らと一緒に飲んで騒いで、ふんどし一丁裸ダンスするだけでは、ドナルド・キーン氏が掲げた「日本文化をもっともっと世界に広めたい」という素晴らしいミッションを成し遂げることにはならない。東京から京都に新幹線で行くより、羽田から香港に飛行機で行くほうが安い時代に、われわれは生きている。だからこそ、たかが英語、されど英語。たかが中国語、されどチャイニーズ;の精神でひとりでも多くの訪日客・外人さんに日本のカルチャーを届けるべきなのだ。

そう、言うなれば読者諸君も、在野の即興詩人もみな決して人に怒鳴らない怒鳴さんの弟子なのである。ふりむけば外人にぶつかる今、時代の超先駆者だった偉大なる恩人、キーン・ドナルド氏の遺志の継承者は、言うまでもなく日本国パスポートの所持者たちなのだ。

また、余談だが怒鳴さんと深い交流のあった三島由紀夫は、彼のわずか2歳年下だそうだ。そう考えれば、仮にもしも「仮面の告白」の著者が生きていたら94才だったのかと思うと、想像に絶するのも事実だ。それほど、この知の巨人は歴史の証人であり、また戦後日本を牽引してくれたとてつもない人物だったのである。

平成最後の年に、昭和と平成をすべてフルに生き切ったひとりの侍の時代が、静かに終止符を打ったのだ。

果てしなく美しいドナルドに、乾杯!

ありがとう。