御巣鷹山 880                             



朝、起きたら雨の予感がした。
それでも、ぼくは向かうことを決めていた。そう、今から29年前の夜七時前に群馬県・御巣鷹の尾根に堕ちた「JAL123便」墜落地点に。慰霊登山だ。520名の尊い命が、30分にもわたる恐怖のダッチロールの後、奪われた。YouTubeで、当時の報道の様子が無数にアップロードされているが、実際に足を運んでみるとスマホに映る「絵」とはまったく異なるイメージが肉眼に飛び込んできた。百聞は、一見にしかずとはよく言ったものである。
今回は、そのエクスペリエンスをあるがままに書いてみたい。


6:58分発の新宿発- 高崎行きの湘南ライナーに乗り込み、揺られること一時間半。新町駅下車。毎日2、3本しかない「かんながわ号」という、日本中央バスが運営しているバスに乗車し、夏限定一日フリー乗車券1500円を購入。8:50分発のこのバスは、豪華絢爛どころか渋谷をびゅんびゅん走っている「ハチ公」バスとまったく同じ型だ。唯一の違いといえば、この「かんながわ号」のルートは片道2時間40分もあるという点に他ならない。過疎村の間を、乗客はぼく一人。案の定、すぐに雨が降って来た。時折、地元のグランマやグランパが乗り降りするが、左手に神流川を望みながら、adidas + Nikeのランニング姿のぼくは最後列シートで腕を組んだまま窓の外を移ろう景色をただただ眺める。


窓を叩く雨は、かなり強くなってきた。大丈夫だろうか。
今回、ぼくが選んだルートは、このバスで終点の「しおじの湯」まで行き、そこから10KMほどランニングをし、御巣鷹山登山口まで辿り着く、というものだった。Google map を見る限りでは、なんとかなるように思えた。ただ、雨となると厳しさは当然増す。
この恐ろしく遅い「ハチ公バス」は、とはいえ停留所の9割には停車しないので、一見飛ばしているかのような錯覚に陥る。しかし、限界集落や路地裏ルートを回るので動きはやはりスロー。しかも途中、「休憩」と称して幾つかの停留所に十分ほど停車する。ようは、乗客も運転手もトイレに行け、という意味合いがあるらしい。車内は、ガラガラなので運転手さんに話しかけ、目的を告げると「今日は流石にこの雨ですからねえ、お湯に入ってそのまま東京に戻られたほうがブナンですよ」、と言う。そもそも、しおじの湯から「走って」御巣鷹山登山口まで向かう人は、聞いた事はないという。もはや山と川と雨以外なにもない景色を進みながら、「この地域は、人よりサルとシカのほうが多いですから」というではないか。



11:27分、土砂降りの中、ぼくは終点の手前で運転手さんが「御巣鷹に行くには、ここで降りた方がいいです」と配慮してくれたポイントで下車。ストレッチなどしている余裕はない。雨に叩かれながら走り始めた。10KMなら一時間ぐらいで行けるだろう、というのがぼくの計算だったが、それはすぐに打ち砕かれることになる。



まず、気付いたことは舗装されているアスファルト道路とはいえ、若干「上り坂」だということだ。これは、フラットな神宮外苑を走るのとは訳がちがう。さらに、最初の「平兵トンネル」を抜け、次の「大神楽トンネル」を越えると、「御巣鷹山登山口まで 12KM」との看板が出て来た。こう配が徐々に上がってくる上り坂の12KMは、五流ランナーのぼくにとっては、想像もつかない。しかも、雨が止む気配は一向にない。道路を時折通過するのは、タクシー、一般自動車またはご遺族・関係者を載せたバス。10分から15分に一度抜かれるペースだが、真っ暗の中のトンネルを走っていると背後からもの凄い音でごーっと押し寄せてくる。振り返ると、小さなヘッドライトがだいぶ遠くに見えるのだが、音だけは異常に大きく鳴り響く。向こうもランナーがいるとは想定していないと考え、車の気配がある度に、ぼくはトンネル内の幅30センチほどの一段上がっている路肩に乗り、通過するまで動かないようにした。シカのように轢かれたら、一瞬のアウトだ。



虎王トンネル、長岩トンネル、琴音トンネルなど、次から次へと暗闇に向かって走って行く。後でわかったことだが、JAL123便が墜落した1985年8月12日当時は、こうした何本ものトンネルは存在していなかったという。つまり、ご遺族の方々は大変な苦労をされて墜落後数年に渡って登山口まで行かれてたのではないか、ということだ。御巣鷹山がある、当時の群馬県上野村の黒澤丈夫村長は、旧日本海軍のゼロ戦パイロットだったという。その村長が、事故後、なんとかご遺族の方々がよりスムーズに慰霊登山をその後行えるよう、国と東京電力に猛烈に働きかけ「上野ダム」の建設に漕ぎ着けたと、ぼくはこの日、後で知る事になる。確かに、トンネルを2、3本抜けると右手にぱーっと開かれた空間があり、そこには「上野ダム」の標識があった。ダムだ、確かに脇のフェンスまで向かい、見下ろすと水が張っていた。こんな所にダムがあるとは。高所恐怖症のぼくは、それまで我慢していた尿意に抗しきれず、その空間に隣接した山に入り用を足した。




つまり、である。ぼくが走っていた道路は、「東京電力のスタッフが、ダム点検、運営」のために整備されたものであり、トンネルということだ。表面上は、そういうことなのかもしれないが、この立派なインフラストラクチャーを実現させたのは、言うまでもなく、当時の黒澤丈雄村長率いる上野村の役場の人々、消防団の人々、地元の人々および関係者の鎮魂への祈り、520もの支柱に安らかに眠ってもらおうという想い、およびご遺族の方々に、なるべく負担のかからない形で慰霊登山をその後もして頂けたらという、強烈な意志であったことを疑う余地はない。



「御巣鷹山登山口まで、あと6.2KM」という看板が、出て来た時、雨にぬれた iPhone5 はすでに12:21を表示していた。つまり、一時間で到着する予定が、まだ半分しか進んでいないという計算になる。しおじの湯を出発する最終バスが、16:50分発であるため、それに間に合わなければ野宿することになってしまう。若干、不安になってきたが、もはやここで止まるわけにはいかない。御巣鷹の尾根への看板、「落石注意」のサイン。御巣鷹登山口まで、あと5.2KM の看板を過ぎると、「右方向 東電関係者以外の立ち入りを禁止いたします- 森林管理署」というサインがでてきた。すでに足は棒のようになってきていたが、やはりこの道路は、東京電力と国のバックアップによって建設されたものであることは間違いないようだ。左手のガードレールの向こうを見下ろすと、猛烈な水流、轟音、水しぶきをあげて川が唸っている。御巣鷹山というのは、「神様が流れる」という地元の神流川の源流中の源流なのだ。それほど、聖なる場所だったことをぼくは、知った。


上り坂のこう配がどんどん急になっていく。ペースも落ち、走ろうともまったく前進していない感覚だ。「御巣鷹登山口まで、あと3.4KM」の看板地点までくると、もはや歩かざるを得なくなった。45度の傾斜はないと思うが、スキーでいう中級者コース程度のこう配に感じられた。すでに軋みだしている股関節の痛みと雨のなか、早歩きとランニングを交互に行いながら、さらに遅いペースで進んで行く。バスを降りてから、すでに一時間半を越えていたが、目の前にそびえ立つ御巣鷹山の尾根は、それでもまだ大分先にあるようだ。つまり、29年前のこの日にJALジャンボ機123便が墜落した場所は、とてつもなく深い、深い山奥だと改めて痛感した。残り3キロ。タクシーなどに追い抜かれながら、プレートナンバーに視線をやると、神戸ナンバーを二度、見かけた。滋賀ナンバーを一度。あとは、地元高崎、栃木、東京のナンバーが殆どだった。とはいえ、関西方面から慰霊登山に今もなお足を運ばれているご遺族の方々がいるのか、と思うと左腰の痛みも一気に吹っ飛んだ。


ようやく、前方に人影がみえてきた。30台ほどが収まる駐車場エリアのようだ。報道関係の車などが、10台ほど停車している。ここが登山口なのか、と一瞬安堵したが、甘かった。後で判明したことだが、この地点は「旧登山口」とのことだ。ここからは、シャトルバスが現在の登山口とピストン運行しているらしかったが、ぼくはあえて歩き続けることにした。ここまで来た以上、そして当時のご遺族、および関係者の方々がかつて汗を流されたであろう追体験をするには、最後の最後まで自力で上がらねば身体に染みてこないではないか。ただ、このラストの綺麗に舗装された区間の傾斜はもの凄かった。力を振り絞り、ようやく登山口に到達したのは、13:29分。バスを降りてから、2時間2分が経過していた。

ご遺族用のテントが張られていたが、座っている数人は、報道関係者のようにも見えた。
「御巣鷹の尾根・昇魂の碑 登山道案内図」の看板をみると、現在地は標高1359メートルで、昇魂の碑までは800メートルと記されていた。高低差、180メートル。そこにいたカメラマンらしき男性に聞くと、この日は雨なので道路がぬかるんでいるため、30分〜40分は見ておいたほういい、と言う。ぼくは、登山用の木のステッキをそこで一本借りた。それなしでは、到底登れないような気がしたからだ。斜面をみると、これまで以上に急だ。「入山カウンター」があったので、みると「879」と表示されている。ぼくが、それを押した。
2014年8月12日。ぼくは、この日の880人目の登山者となった。





下山してくる慰霊登山者とすれ違う。その度に、「こんにちは」、「お疲れさまです」とお互いに声をかけあう。高尾山でも経験したことがあるが、日本人の礼儀正しさというのか、美徳が猛烈に胸に沁みる。ぼくは、一般の登山者にすぎないが、すれ違う方々の大半はご遺族であるのではないか。そんな気がした。全身から汗が吹き出しているのが分かったが、それも降り続ける雨と混ざって無感覚。ユニクロの短パンも、adidasのシャツも、Nikeの靴も、NYのキャップも、背中に背負ったコンパクトバッグも、すでに自然と一体化状態にあった。「熊よけ 鐘鳴らしてください」と記された鐘があった。それぐらいの山奥まで来ていた。恐ろしく急な斜面は、雨で崩れ一部は砂袋で補強されていた。一歩一歩「登って」行く。520もの無垢なる魂が「昇った」、その場所へ。途中、テントが張られている休憩所で、麦茶とスポーツドリンクを差し出しがあった。ありがたかった。ぼくは、両方とも頂いた。旨かった。こうしたお姉さん方は、上野村のスタッフなのだろうか、それとも地元のボランティアの方々なのだろうか。ともあれ、疲労が一気に吹っ飛んだ。御礼を言うと、さらに上を目指した。途中、数字とアルファベットを刻んだプレートが、点在していることに気付いた。すぐには分からなかったが、それはお墓のそれに似ていた。次の瞬間、犠牲者のご遺体が発見された場所が、ご遺族に分かるようにプレートが表示されているに違いない、と思った。JAL123便の高濱雅巳パイロットは、元は航空自衛隊のパイロットだったと聞いたことがある。YouTubeで何度も、フライトレコーダーの映像を観たことがあるが、同氏と、副機長、さらにもう1人の整備のプロフェッショナルの3名の英雄たちが、コクピットのなかでいかに懸命に戦ったかがありありと伝わってくる。”Uncontrollable” ー 操縦不能と、高濱機長が形容した520人乗りのジャンボジェットを、いかにランディングさせるのか。乗客の命を助けるのか。その一心で無心で戦った男達が、あの時いたことを、ぼくらは忘れてはなるまい。夜六時すぎ。東京羽田空港を離陸し、大阪に向かった同機。その三十分後には、乗客は機内で震える文字で遺書を書いていた。26才だった女性は、「怖い、怖い、死にたくない、助けて」と記した。父は子へ、妻へ書いた。奇跡的に助かった四名のサバイバーのうちの一人、落合由美さんは次のように証言している。

「前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子がキャーッと叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。
 そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの神がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
怖いです。怖かったです。思い出させないでください。もう。思い出したくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった」


高濱雅巳パイロットは、墜落直前、「これはもう駄目かもしれんな」「ドーンといこうや」とコクピット内で言っている。その直後、ボイスレコーダーは爆音とともに録音停止。まだ、ご覧になったことがないという読者は、JAL123でググッて必ず一度、見て欲しいと切に願う。その高濱機長の娘さんは、その後、JALに入社。スチュワーデスになられた。父親の遺志を受け継がれたのか、それともただただ無心でその道に進まれたのか、強い心をもった勇者である。その娘さんと、JALで同期だった元スチュワーデスが、偶然ながらぼくの友達でいる。彼女によると、高濱機長の「ご遺体」は、かすかな歯形だけだったという。520名の犠牲者のうち、全身のご遺体が確認された人は、200を満たなかったと聞いた事もある。真偽を知る由もないが、一つ確かなことは、大変多くのご遺族が納得のできる形で「ご遺体」と直面できなかった、という事実ではないのか。ぼくの本棚に、美谷島邦子氏が書かれた「御巣鷹山と生きる」という本が一冊あるが、当時9才だった美谷島さんの息子の健くんの「ご遺体」を、同氏はこう表現されている。

「その日、健の、骨のない足袋のような形をした皮だけの足を、3回目の火葬にした。血液型と、消去法により何度も法医学の先生と検討し、百幾つもの棺の蓋を、フラフラになりながら開けて見つけたわが子。
 変わり果てた足と手の、わずかな部分。「でもこれで、天国で大好きだった野球ができるね」とつぶやき、清原選手や桑田選手などPL学園のナインから贈られた小さな帽子と千羽鶴を棺の片隅に入れた」




 御巣鷹の尾根に、ようやく辿り着いた時、不思議と雨は止んでいた。昇魂の碑の前で、合掌した。さらに奥に行くと、520名の名前が刻まれた大きな石碑があった。下の方には、外国人と思われるカタカナの名もあった。そのすぐそばに、小さな木の「小屋」のような建物があった。中に入ると、お線香が炊かれていた。二畳ほどのその薄暗い空間には、壁一面に色褪せた写真や、作文、メッセージなどが張られていた。ご遺族の方々と思われる慰霊登山の集合写真もあった。海水浴だろうか、海辺で上半身裸で白い歯を見せているハンサムな男性の写真は、黄色ずんでいた。あの日、墜ちた機内にいた方に違いない、と直感でわかった。台の上にあったライターを取り、一本のお線香に火をつけ、お祈りした。なんとも言葉にならない思いが込み上げて来た。黙祷。

520名が、命を落とした JAL123便 御巣鷹山墜落事故。これは、未だに世界最大の飛行機事故である。






下山後、ぼくは上野村直営の温泉施設「しおじの湯」に全身を沈めていた。アルカリ性たっぷりの、程よい露天風呂から眺める山々は、再び強い雨ににじんでいた。
その時だった。精悍な顔立ちのした一人の男性が、入って来たのは。四十代半ばだろうか。

「よく、こちらのお湯には入られるのですか?」
と聞くと、「ええ、毎年一回は来るんです」と笑顔で答えてくれた。メディアの方かな、と一瞬思ったが、それでも毎年来るとは考えにくい。
その後、すぐに男性がご遺族の方であることが分かった。今年で29年。毎年、慰霊登山をされているという。頭が下がる思いだ。ぼくなんか、初めてだというのに。
「1985年当時と、現在とでどうした変化がありますか?!」 、と尋ねた。
「そうですね。まず、道がよくなりました」
「あの、トンネルですか? あれは当時からあったのですか」
「いや、ありませんでした。事故後、上野村の村長さんの働きかけもあり、東電がダムを御巣鷹山の麓に作る事になったのです。よって、あのトンネルも、道も、当時はありませんでした」
ぼくが、そのルートを走って登山口まで言ったと述べると、同氏は白い歯を見せて驚いた。前述した「東電の道」、というくだりは、この時初めてこのご遺族の方から聞いた話である。

「でも、あの道も、トンネルもなかったとしたら、どうやってご遺族の方々は1985年以降、毎年慰霊登山にいかれたのですか」
男性は、露天から霧に埋もれた緑の山々に視線をそらし、言った。
「ええ、今、ダムができている部分がありますよね。あの川の河原といいますか、砂利道をゆっくり進むしか方法はありませんでした。そして今の旧登山口まで、時間をかけて辿り着いたのです」

しばらく、沈黙が続いた。

ぼくは、聞いた。
「でも、1985年当時は、今のような舗装された旧登山口からのアスファルトの道も、なかったのですよね? 登山道などはもちろん」
「その通りです。ですので、墜落した当時は、御巣鷹の尾根に行くのにヘリコプターで行きました」
「ご遺族の方々は、みなヘリコプターを使われたのですか」
「そうです」
お湯の表面から、湯気がゆらゆらと消えて行く。
「つまりですね、もっと分かりやすくいうならば、今日、あなたが登られた御巣鷹山は木々が立派に成長し、森のように茂っていたでしょう」
「はい。山の中を進む感じでした」
「でも、それもつい最近のことなのです。墜落当時、機体は山に激突し、炎上し、山一体が燃えました。よって、その後だいぶ長い間、慰霊登山を行っても木などロクにありませんでした」

足も、腰も乳酸が沢山溜まっているはずだったが、そんなこともぼくは忘れていた。

男性は、湯船をでる前に、笑顔で言った。
「あと、そうそう。今日は火曜日ですよね、普段ならこの “しおじの湯”は定休日なんです。でも、今日が8月12日だというので、特別に上野村の方々が開けてくれたんです。本当にありがたいことですね」



日本人の支え合う温もりを、慰霊、鎮魂への祈りの力をぼくは、この日、学んだ。塗炭の苦しみを味わられたであろう、多くのご遺族の方々。ぼくが露天で出会った紳士。こうした人々を、今も支え続けているのは、おそらくこうした日本人同士の目に見えぬ優しさであろうことを、どう否定できようか。



Editor in Chief 谷山雄二朗






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