Speech by Megumi’s MOM | 横田めぐみさんママの声を、今こそ金正恩に届ける時

「拉致問題と言われていますが、これは本当は’問題’ではなくて事件なんです。何の罪のない人が突然他国にさらわれていくのですから」

横田早紀江さんの言葉だ。ぼくは先日、拉致を解決するための集会に参加した。200名ほどでいっぱいになる川崎市平和記念館が会場だ。最前列ど真ん中の席を確保し、2時のスタート前には座席は埋め尽くされた。ただ、その光景をみた第一印象は、高齢者が大半を占めているということに尽きる。時間とお金があるのは、たしかに年配の人たちだからといえばそれまでだが、10代、20代ミレニアム世代がぶいぶい言わせている米国トランプの集会などに比べると、その「大人しさ」と「グランパ感」には正直圧倒された。というか、見渡す限り10代はおろか二十歳前後の男女を見出すのは、トムクルーズのMission Impossibleに近いものがあった。

 

https://youtu.be/92_bDV0Wa00

1977年11月15日、新潟の海岸そばで北朝鮮に拉致された横田めぐみさんは、当時13歳のバトミントン少女だった。先週の10月5日に54歳の誕生日を迎えられたことを考えると、時が経つのは実に早い。早紀江さんたち拉致被害者の家族をサポートしている「あさがおの会」のお姉さんたちは、まるで女子高生の如きストレンスを醸し出しており心強かったが、とはいえ全体的にもっともっと学生たちに「拉致事件」を広めていく必要があるのではないか。それが率直な思いだ。

ブロガー谷山雄二朗、今回はその場で見たもの感じたものをストレートに読者に伝えることにする。一人でも多くの日本人とシェアすべきだと考えるからに他ならない。

午後2時の開演直前、横田早紀江さんがご入場された。ぼくの斜め前の関係者席に座られたが、インターネットやその他メディアでご拝見するよりも御年齢を感じさせられた。1977年の今頃、突然「行方不明」になった愛娘を探すこと今年で41年。その塗炭の苦しみおよびストレスは、到底我々の想像を絶する次元でないわけがない。今回アップロードしたショート・ヴィデオを見ればわかるように、早紀江さんは若い頃からそれは大変美しい方であった。しかしながら読者もご存知のように、ここ四十一年間はめぐみさんを救出すべく戦ってこられた。1997年になるまで、即ち「北朝鮮の国家犯罪だった」ことが判明するまでじつに20年もかかったこの「事件」を考えれば、Japanという列島が果たして本当に国家の体をなしているのか疑わしいと言わざるを得ない。そしてそれを最も痛感されているのもまた、横田滋さん、早紀江さん、拓也さんたちをはじめとする拉致被害者のご家族の方々に違いない。

いずれにせよ、ぼくが初めて肉眼でみた早紀江さん(馴れ馴れしく聞こえるかもしれないが、これが一番自然なのでそう呼ばせていただきます)は、実に美しい方であった。頭髪は雲の色になられ、お顔には無数のラインが刻まれている。その背中はじつに小さく、繊細だ。しかしながらぼくはそこにとてつもない美と滴り落ちるかのような気品及び剛健さをも肌で感じたのはなぜだろう。

確か五木寛之がなんらかの連載コラムで「金、金、金の世の中だ」と書いていたが、残念ながらぼくはそれを否定できるほどの立派な人間ではない。しかし横田早紀江さん、飯塚耕一郎さん、蓮池透さん、曽我ひとみさんたち拉致被害者家族の方々が戦ってきたこの「事件」は、決してお金では解決できない性質のものだ。何百万、何千万、何億円を積んでも愛する家族を取り戻すことはこれぞMission Impossible(MI)。その「解決策のない」血の滲むような苦悩と気の遠くなるような40年もの間(来年で42年目になる)体を張って猛進してこられた早紀江さんのその後ろ姿に、ぼくは地球より大きいものを感じたのかもしれない。そして自分の小ささも。

やがてめぐみさんの弟の拓也さんが会場に現れ、それに続き菅義偉官房長官が入り、早紀江さんの隣に座った。ぼくは今から五年ほど前、偶然東京駅新幹線ホームで同氏とすれ違って以来、勝手に同氏に親近感を抱いているが、最近「拉致担当大臣」なる新ポストを兼任することになったという。とはいえ、国は、政府はこれまで北朝鮮に取り残されている同胞たちを事実上見殺しにしてきた。これは何も菅さん一人に責任を押し付ける訳ではないものの、2002年の小泉訪朝でわずか5名の日本人が救出されただけで、この16年間何もできないできたことを考えると、我々一般の国民は決して政府への厳しい視線を切らしてはなるまい。だいいち、国民も国境も守れずしてなんのための国会議員か。化粧するだけが才能の三原じゅん子さんのような ‘fake politicians’ が、この国は単純に多すぎるのだ。そして何と言っても無能で、無気力で無思考の世襲議員の圧倒的数的優位が、横田めぐみさんたち同胞の救出にこの41年間障害物として作用してきたことを、いったい誰が否定できよう。アメリカ合衆国のダイナミズムは、その「世襲の欠如」からうまれている。せいぜいブッシュ親子ぐらいだ。その点、ぼくは菅義偉というマーヴェリックなポリティシャン(少なくともその親類に元首相はいない)に、密かに期待している。

川崎の福田市長が、オープニング挨拶をした。最初はテニスの松岡修造かと思ったが、「私はこの集会は毎年これが最後であることを願っています。北朝鮮から全員が帰国すれば、もう開く必要がありません」と、じつに心に染みる言葉をマイクに吹き込んだ。そうだ、その通りだ。横田ご夫妻は、長年川崎に住んでこられたということもあり、市のバックアップ、そしてご近所のみなさんの支援体制も目にみはるものがある。1990年代の終わりごろだったと思うが、JR川崎駅前のビルの一室で「横田めぐみさん写真展」が行われ足を運んだことがあった。あの時も、川崎市主催か後援だったと記憶している。今年の春、新宿駅の地下通路でめぐみさんの写真展示ディスプレーに行った時も、あさがおの会がフルサポートしていた。カネ、カネ

カネの現代において純粋に凄い人たちだと言わざるを得ない。武士だ。

菅さんが登壇した。そのスピーチの一部は、ニュースでも大きく報道されたのでここで述べるまでもない。「今が正念場」とのニュアンスを感じたが、軍備なき外交を標榜する我が国の政府に過度に期待しては到底なるまい。相手が狡猾極まりない北朝鮮であるならば尚更だ。どうであれ、この神奈川肉ならぬ神奈川二区(勝手に変換されてしまった、神奈川ビーフ)の官房長官からは誠意が伝わってきた。ぼくに欠けているものだけに、大いに勉強になった。とはいえ、そのSincerityだけでは横田めぐみさんたちは帰ってこないのも事実だ。

金正恩に語りかけた横田早紀江さん

そして早紀江さんがご登壇された。そのお姿をニュースで拝見した読者もいるだろうが、数秒間の映像を切り取って編集後に番組で使われるため全体像を掴めないのがいけない。だからこそ、今回、Team JBとともに作ったショート・ヴィデオはフルにアップロードさせていただいた。

結論からいえば、すべての日本人が横田めぐみさんのお母さんの言葉に耳を傾けるべきだとの一点に尽きる。これまでこれといった支援活動をしてこなかった身としては、偉そうに言える立場にないのは毛頭承知している。そこは反省材料だが、率直な話これまでぼくはどうすればめぐみさんたちの救出に関われるのか、まったく見当がつかなかったのだ。自分に一体何ができるのかわからかなったのだ。いや、現時点でも確信をもっているわけではない。おそらく大半の読者も同じではないだろうか。単なる狼少年の遠吠えというか、言い訳にすぎないといえばそれまでだが、それが偽らざる素直な気持ちだ。そしてそれは同時に、ぼくが「逃げてきた」ことの同義語ともいえる。横田滋さんや早紀江さんたちが戦っていたとき、ぼくは逃げていたのだ。ただおこがましく言わせていただくのならば、いや、ぼくも、あなたも自民党議員も誰もかれもが放置していたわけだ。その間、早紀江さんの美しい髪のカラーは変化し、曽我ひとみさんの夫は天国に召された。

うまくは決して言えない。ただ言えることは、今までのぼくは間違っていたということだ。お調子者のトランプさんと、肥満児のキムさんがシンガポールで会談した今、どんな手段を取ろうとも、いかなる道を外れたマキアヴェリズムに徹しようともわれわれは日本人として同じ日本人を助けるべきではないか。巨人の次期監督がHARAさんになろうとも、EGAWAさんになろうともどうでもいいことだ。ただ、金正恩さんが自分の祖父および父親の代に行われた国家犯罪に対し真摯に向き合い、それを償う気持ちが1mgでもあれば、それはこれまでのMIが、インポッシブルならぬ “Mission Possible” 即ち拉致被害者救出というこれまで考えられなかった筋書きへと180度転換しうるということに他ならない。

早紀江さんはスピーチのなかで、北朝鮮の三代目に真摯に語りかけられた。思えば被害者のご家族たちは、金日成、金正日そして金正恩と三代の最高権力者たちと戦ってきたとてつもない侍たちだ。誇り高き日本人だ。ただもう時間がない。横田滋さんは、胃ろうをされていると少し前に新聞で読んだ。やはり「今」が勝負だ、1秒1秒が。

室町時代の15世紀から16世紀さらには朱印船貿易が行われた頃、我が国の祖先たちは中国王朝、朝鮮そして東南アジア諸国に日本刀を売って外貨を稼いだ。他に類を見ないほど「キレた」からだ。それでは、この21世紀の刀とは何か。情けなくも憲法により軍事力に制約がかけられたままの今、それは日本海のはるか向こうに片手を伸ばし故郷の大地をもう一度踏みたいとの一心で助けをまっている人々を想う力、Imaginationではないだろうか。アインシュタインはかつていった。

Imagination is more important than knowledge.

今こそ日本刀を帯刀しようではないか。

自民党首選は、時代遅れである 【谷山雄二朗】

それにしても、異様な’選挙’である。

日本の最高権力者を決めるイヴェントなのに、国民が参加できないのだから。蘇我氏と物部氏ならぬ安倍氏と石破氏の対決という構図ながら、盛り上がりはゼロに近い。一方的に盛り上がっているのは、時間とお金に余裕のある高齢者と旧態依然のマスコミだけだ。ほとんどの国民は無関心だし、トランプを生んだ2016年アメリカ大統領選挙に比べたら、恐ろしくショボい。

だが、果たしてこの低落でいいのか。

形骸化している「自民党首選」の実態は、その日程をみれば一目瞭然。今回は9月10日にスタートし、20日に投票だから選挙期間はたった9日しかない。茶番そのものではないか。予備選を含めると一年以上続く米大統領選と比べれば、その異常さが浮き彫りになる。

9月18日に発表されたNHK世論調査では、安倍内閣の支持率はわずか42%。内閣でこのレヴェルということは、森友・加計スキャンダルもあり安倍氏個人の支持率となればその半分以下かもしれない。つまり日本の総理大臣をアメリカや韓国のように大統領制即ち国民の直接投票で行った場合、安倍晋三ではなく橋下徹と書く人のほうが圧倒的に多数を占めるにちがいない。

ところが、そうした国民の声は我が国の政治にはまったく反映されない。

「日本は大統領制じゃないから」は、言い訳になり得ない。「政治的空白を作らないため選挙は短く」というのは詭弁にしか聞こえない。立憲君主制のわが国では、最大与党の党首が総理大臣になることが「常識」とされる。米国のそれとシステム上単純比較できないことは確かだが、世界第3位の経済大国のトップが、わずか九日間の形式だけの党首選をやることにどれほど意味があるのか。今回の党首選を異常と感じているのは、果たしてぼくだけなのだろうか。

1890年に第一回帝国議会が開かれて以来、日本の首相選出システムは一度も変わっていない。こちらの方が異常ではないか。ラーメン二郎の味でさえ微妙に変化するように、時代とともにCHANGEすべきは変える。それぞ正常な姿だ。

石破氏が立候補したことは、良いことだ。無投票で現職が再選されることほど、人畜有害な茶番はないから。しかしながら、前述した通りわずか九日間でしかも二、三回しか本格的な公開討論をしない訳だから、結局は自民党の自民党による自民党のための選挙以外の何物でもない。国民は関係ない。

これを政治の私物化という。

勝ち馬に乗れ!と打算深い連中は、与党、メディア関係者揃って安倍支持に傾いているが驚くに値しない。

「森友問題に関係した財務省の役人は、自害した。一人の人間が死んだことは事実であり、そこは誠意をもって真相解明せねばならない」といった類の発言を石破氏はある討論会で述べた。最もなことだ。さまざまな世論調査の結果を見る限り、安倍氏が十分に説明責任を果たしたと考えている国民はほとんどいない。しかしその翌日の産経新聞は、ぼくが読んだ限りでは上の石破氏の発言を掲載していなかった。それが忖度によるものなのかどうかは知らないが、同新聞に期待している者の一人としては首を傾げざるを得ない。

なにせ天下のJAPANの指導者を決める選挙だ。少なくとも情報はすべて100%国民にオープンにすべきだと考える。判断材料として、公開ディベートも少なくとも10回は行ってほしい。

ところが、今の日本の時代遅れの立憲君主制システムがそれを許さない。よって安倍氏も石破氏もいったい「日本をどのような国にしたいのか」という明確なヴィジョンを国民に分かる形でまったく説明し得ていない。GDPがどれだけ増えたとか、訪日観光客がどれだけ増えたとか役所があげる数字を列挙しているにすぎない。

これを、政治的茶番という。

ちなみに、ぼくはなにも anti 安倍でもpro 石破でもない。Japanが強い、素晴らしい国になってほしいだけだ。ただ、どう考えても今の「自民党の自民党による自民党のための党首選」のシステムは、この国を腐敗させると考える。立憲民主制の根本を問うものだが、果たしてなんとかならないものか。

ドナルド・トランプは、ヒラリーに “loose cannon”と揶揄されたほど予測不能かつ朝令暮改の男だが、少なくとも彼は前回の大統領選挙予備選ではブッシュ弟を撃沈し、フロリダ州のルビオを迎撃し、テキサス州のクルーズを破壊し、最後はビル・クリントン(ビルクリ)の妻を葬った。言葉によって、である。公開討論の場で、である。そこにトランプの凄さがある。米国民は今もなお割れているとされるが、この事実だけはどの民主党支持者でも否定できない。

翻って日本はどうか。

時間ない、討論ない、ヴィジョンない。そして最悪なことに国民不在。だいいち、われわれ一人一人の胸に迫ってくる言葉がない。

これで安倍氏が明日、勝利したところでいったいどんな意味があるのだろうか。日本の国土は、米国のわずか25分の1にすぎない。さらに公開討論の時間は、計算した訳ではないが米大統領選に比べて100分の1程度だろう。つまり、それだけ日本の政治家には言葉が不要だということだ。言葉がない政治とは、いったい何なのか。世襲ビジネスだ。そうか、結局のところ日本は立憲君主制どころか実は単なる世襲制なのではないか。今日の夕方5時半に、秋葉原で街頭スピーチを行ったのは、岸信介元総理大臣の孫で安倍晋太郎外相の息子だった。「批判だけしていてもなにも生み出すことはできない。私たちは無駄な批判はしない」と、クレヨンしんちゃんならぬ安倍の晋ちゃんは石破氏を暗に揶揄したが、現職の首相としてはあまりに器の小さを露呈する発言であった。

人間、批判精神を失ったらお終いである。

前の戦争は、それを忘れ盲従した日本人が要職を占めていたからこそ起きたのではなかったか。ちなみに岸信介の孫の隣りで応援歌を歌ったのは、吉田茂の孫であった。

ちょうどその頃、石破候補はハチ公前で犬のように吠えていた。

「真実を語らない政治家は、国民を信じていないのだと思う。国民を信じていない政治家が、国民から信用されるはずがない」と、安倍候補を批判した。隣りで応援歌を熱唱したのは、中谷貞頼元衆議院議員の孫だった。

また、数日前にあるTV局の「両候補出演番組」をみたが、「アベノミクスを採点すれば、何点ですか」との問いに対し、当の安倍氏は74点をつけた。数字はともかくとして、その表情は随時緩みっぱなしだったのが一番印象に残った。その緊張感および迫力のなさは、米国だったら予備選の段階で脱落するレヴェルに思えた。あえて言っておくが、ぼくは何も石破氏が首相にふさわしいと強調しているのではない。また、安倍氏が10年ほどまえに書いた「美しい国へ」が、かつて心の琴線に触れたことも正直に告白しておきたい。

ところが、だ。今の同氏に、ある種の驕りが感じられるのはなぜだろう。

安倍でなければトランプは説得できない、とかプーチンとの大きな信頼関係を構築した、と安倍応援団らはよく強調するが、いくらゴルフは一緒に回ってもトランプのスチール25%、アルミニウム10%の対日関税発動を抑えることはできなかったし、それに対して報復措置はおろか抗議一つ出来なかった。プーチンに至っては去年末は三時間ほど会談予定地で待ちぼうけをくらい、先週のサミットにいたっては「北方領土抜きの平和条約はどうだろう」を逆提案される始末。軽視されているといっても過言ではない。

かといって、繰り返すがなにも吉田茂、いや石破茂が総理大臣にふさわしいと言っているわけではない。ただ、慰安婦‘合意’一つとってもその場凌ぎとしか考えられない短期的な視野の’政策’ないしは’失策’も多々あるということだ。読者もご存知のとおり、慰安婦においては「結果」が出ているとは到底言い難い。

ぼくがここで強調したいことは、知識人ないしは指導者とされる人々の言葉を、もっともっと疑えということだ。江戸時代260年で権力に飼いならされすぎた日本人は、「お上」という言葉があるように権力者に対し抵抗力がなさすぎる。前回、安倍氏に対し対抗馬が一人も出なかったことも、同党内がいかに去勢された羊の群れかがうかがい知れる。

日本国民は、今こそ批判精神を再確認すると同時にどんな権力でも長期化すると腐敗するということを肝に銘じておくべきではないか。

18才の女子選手が告発した体操界でも、チンピラがトップにいたボクシング界でも、ハゲのおっさんが牛耳っていたというレスリング界でもどこでも長期政権は必ずといっていいほど堕落することを歴史は証明している。

政界が例外であるはずがない。

明日の結果がどうなろうとも、ぼくが先日みた安倍晋三首相の糸の切れたタコのような緩みっぱなしの顔は、日本を牽引する者とは思えなかった。吉田松陰や高杉晋作を彷彿させる目の輝きなど微塵もなかった。政権に安住し、既得権益固めに走り、権力のための権力に酔いしれる新橋ガード下の中年にしか見えなかった。以前の安倍氏の目には、もっと刺すような鋭さがあったことは言うまでもない。

数がすべてが政界の論理といえばそれまでだが、そうした打算的かつ保身しか考えない連中が増えると、日本はますます劣化していく。

最後にいう。

やはり「自民党首選」即ち日本の立憲君主制は、時代遅れである。

事実上の世襲制だからだ。世界広しといえども、古今東西この国ほど世襲の溜まり場と化している政界はいない。群馬の美しいおばさんこと小渕優子氏を初の女性首相に、と真剣に考えているめでたい高齢者が未だに少なくないそうだが、そうしたアイデアが浮上すること自体、日本は極めて重症である。

憲法改正の国民投票以前に、総理大臣を国民が直接選べるシステムの導入こそが、21世紀日本をより強く面白い国にするとぼくは考える者である。

サッカーW杯 ベルギー敗戦と、中国の意外な関係 – 谷山雄二朗

 

 

中国という名の真っ赤な津波

 

今、中国中心のアジアが迅速にかつ確実に構築されつつある。

ぼくが穿いているUNIQLOパンツも、中国製だ。iPhoneもスマートフォンも中国製。Appleの見苦しいところは、その製品の目立たないところに苦し紛れに “Designed in California, Assembled in China” と、なるべく”Made in China”とのイメージを払拭しようとしていること。

中国製であることは、厳然たる事実なのに。ある意味で、見苦しい詭弁だね。

“Made in USA”と堂々と表示したいなら、トランプ米国大統領の言う通り国内ですべて作ればいいのに出来ない。

中国で作るほうが、断然安く採算が取れるから。

 

では、日本はどうか。

$3200億ドル(2017)を突破した日中貿易総額。だいぶ前からチャイナは、わが国の最大の貿易パートナーである。なんせ15億人というパイがある。その市場規模に、アングロサクソンから日本人までみなへつらい、三跪九叩頭している。

赤い津波が、BLOODY=血なまぐさい ことなどそっちのけ。

ハリウッドにいたっては、今や常にチャイナマネーに依存している。そして15億人への配給権を得るために、台湾やチベットなどをコンテンツに絡めぬようあろうことか自主検閲までホイホイ行っている。

さすがはユダヤ資本だけある。抜け目がない。

 

ブラッディーといえば、中国はそれらチベット、ウイグル、モンゴルの人びとの人権を奪い、漢民族に同化させんと”Cultural Genocide”すなわち文化的虐殺を1949年の中華人民共和国誕生以来、継続中だ。さらには、南シナ海を武力で飲み込み、東シナ海では日中中間線を一方的に無視して天然ガスを掘削している。

しかも言論の自由をも禁止する、じつにBLOODYかつ異質で老獪な国が今やアジアの盟主になりつつある。

ダライ・ラマ法王は、自著「FREEDOM IN EXILE」(文春文庫)のなかで、こう述べている。

「中国は脅しで人びとの心を変えることができるという思想に貫かれていたのだ。これは誤った考え方だが、これまでの中国指導者との体験からして、どこか信用ならないものを感じさせた。彼らは嘘をつくだけでなく、もっと悪いことに嘘がばれても全然恥ずかしいとすら思わないのである」 (P.189, 351)

恐ろしいことだ。

確かに、尖閣諸島の領有権一つとってもCCP(中国共産党)は、平気で嘘をついている。彼らのオオカミ少年ぶりは、このJBページを見れば一目瞭然なのでぜひ近代史を勉強しておこう。

今日の日本人は、歴史、それも特に近代史が知らなすぎる。だからぜひ。

そしてここで極めて重要なことは、この非健康的かつ有害な「赤い津波」に唯一対等に対峙できるアジアの国は、JAPAN しかないということに他ならない。

中国産のパンツをこよなく愛するぼくが言うんだから、間違いない。

今年は「日中平和友好条約」締結四十周年である。

1978年にサインされたというのだから、日本がまだサッカーW杯に出場さえ出来なかった頃の話だ。

「仲良くなろう!」「ぼくら友達」「日中友好!」

こうした言葉に、お人好しのわが民族はすこぶる弱い。コロッと騙される。1982年には文科省は「近隣諸国条項」とかいう、中国と韓国にへつらう実に不可解なルールをしかも勝手に、自分から設けてしまった。この「近隣諸国との友好を守るために教科書の書き方を配慮する」とかいう所謂自主規制は、愚の骨頂そのものであり、今日にいたるわけだ。

 

ところが、だ。

“Being a friend”(友達になる)と、”like a friend”(友達みたい)の意味はまったく異なる。

 

この厳然たる事実さえ知らぬ政治家が、JAPANをこれまで弱くしてきた。

BLOODYな国なのだ、チャイナは。

イメージとしては、あの美味しいカクテル「ブラッディ・マリー」。ドロドロの血液ジュース、ぼくもこよなく愛する。ただ、1989年の天安門事件ではCCPは一般市民を戦車で粗大ごみのように轢いて虐殺したことは、周知の事実。

それが現実。

 

でありながら21世紀をいきる我々日本人は、「チャイナのアジア」が盤石になるのを、そのまま指を加えて傍観していていいのだろうか?

チャイナ中心のアジア。「チャイナジア」。CHINASIA.

日本も台湾もヴェトナムもマレーシアも、すべてチベットの二の舞になっても構わない、というのであれば話は別だが。

世界最速の高齢化社会。四人に一人は、六十五歳の高齢者。超高齢化社会における医療費介護費の急激な負担増。1990年代前半は、毎年120万人ほどいた赤ん坊は、今では96万人。認知症で行方不明のグランパたち、森友学園問題で明るみになった汚物ならぬ汚職まみれの政治家と官僚たち。国内の労働力不足で、移民なしではもはや回らない7Eleven.

これはすなわち、日本経済そのものに移民が不可欠であることを意味している。にもかかわらず、与党自民党は「移民は受け入れない。労働者は2025年までに50万人受け入れるが五年後には帰ってもらう」などと、都合のいい国内向けのプロパガンダで国民を騙そうとしている。

そして劣化した国民も、その耳障りのいい言葉に喜んで騙される。欺瞞の構図。

 

 

つまり、難題が山積するJAPANなのだ。

しかしアメリカ合衆国大統領ドナルドダックならぬトランプは、先日ヨーロッパのNATOこと大西洋条約機構の会合で、「ヨーロッパの国々は、もっと軍事費を捻出しろ。GDP比率2%という目標に達していない国々だらけだ。米国は火の車なので、チミらをこのままじゃロシアから守ってあげられんよ」と”同盟国ら”を突っぱねた。

まったく驚きでもなんでもない。もともと “AMERICA FIRST!” で当選した同氏なのだから。

そしてこのトランプの言動は、わが国にも当然当てはまる。

JAPANも、防衛費を2%に上げねばならない。

医療介護年金費負担が今後、ますます増大するのは目に見えている。台所は火の車、アメリカ同様。とはいえ、最大のフォーカルポイントは、このまま「チャイナジア」の台頭を許していいのかというただただ一点に尽きる。

南シナ海は、6つか7つの(メディアによって諸説ある)埋め立て人工島を軍事基地に作り変えてしまった「真っ赤な津波」により、すでに壊滅状態だ。

次は、それが台湾を襲う。さらに与那国島、尖閣はもちろん石垣島そして沖縄本島へと忍び寄る。東シナ海はすでに、このBLOGのアイキャッチ画像のように真っ赤だと考えていい。「OKINAWAには米軍がいるから大丈夫!」などと夢物語を語っている諸君、目を冷ましたまえ。

NY, LA、ワシントンDCに容易に届く核攻撃を示唆されたホワイトハウスが、「いざ」という時に自国から一万キロほど離れている尖閣や那覇空港や普天間基地を守るために真っ赤な津波ならぬ米兵の血を流すとは、到底考えられない。

少なくとも、ぼくはそう考える者だ。

 

つまり、だ。前置きが長くなってしまったが、結論にいこう。

 

JAPANは、ソフト・パワーのみならずハード・パワーとしても “SUPERPOWER”=大国にならねばならない、ということだ。憲法9条の改正は言うまでもなく軍事力を大幅に増強し、日本海が、瀬戸内海が、西郷どんがいた奄美大島が、そして太平洋が真っ赤な津波に飲まれぬよう備えねばならないのではないか。

いや、繰り返すが読者のあなたが「べつに日本が第二のチベットになってもいいけど」というのなら話は別だが。ただ、そうなった場合、あなたの孫かひ孫の代には東京都立青南小学校で教えられる「母国語」は、ニーハオになる可能性もあるということだ。

北朝鮮のデブ公までもが、核兵器のおもちゃを持っていることも忘れてはならない。

戦後のJAPANは、盲目的な対米従属・追従一辺倒できた。トランプの出現は、ある意味で神風みたいなもので、その旧式の思考回路から脱却するチャンスだとぼくは考える者である。そしてアメリカの植民地という立場から、独立国に生まれ変わる気概が求められている。

国産の次世代ステルス戦闘機も、実現すべきだ。たとえコストが急騰し他国と連携することになろうと、核となる「ブラックボックス」は日本が作る。その覚悟が欲しい。

外国人労働者うんぬん言う前に、130もの外国の基地がある国などその実態は占領下にあることを、なぜ日本人は分からないのだろうか。巨大化したカリフォルニア州を、3つに分割するとの案が今、米国ででているがそれが実現すれば同国は現在の50州から52州に増える。

真っ赤な津波に、飲まれるのか。

それとも、アメリカ合衆国の53番目の州に甘んじるのか。

いずれの道になろうとも、自分で自国を守れない民族はその運命を他国に委ねることになるということだ。

そして肝心の時には、必ず勝ちきれない。

先のサッカー・ワールドカップのベルギー戦のように。覆水盆に返らずとはいえ、2-2になった段階で延長に持ち込む戦術をとっていれば、勝てたかもしれない。少なくともPKまでは、持ち込めただろう。それでも、西野朗監督は三点目を取りに行ったという。もちろん単純比較できるわけではないし、サッカー日本代表を攻めるつもりなど毛頭ないが、あの結末は結局 TEAM JAPANが「自分たちの本当の実力を知らなかった」ために起きたことではないだろうか。底力ではベルギーが一枚も二枚も上手だったことは、最初からわかっていた。なにせ世界ランキング3位だ。

とはいえ、2-0というビッグリードをしていたのだ。

それを延長戦にまでさえ持ち込めない。今大会、彼らを熱烈に応援してきた者として、あのエンディングは青天の霹靂であった。確かにプレーヤーたちは頑張った。感謝したい。とはいえ千載一遇のチャンスを取りこぼしてしまったのも事実だ。西野氏は「あのカウンターはまったく想定外だった」と試合後言ったが、そこに究極の落とし穴がないだろうか。素人目でみても、最後の20分ほどはベルギーが攻勢をかけまくり逆に日本選手の足は止まりかけていた。にもかかわらず、西野氏は選手交代のカードをなかなか切らなかった。BBCかどの欧米メディアか忘れたが、「2-0からありえない負け方を日本はした!」と某コメンテーターが揶揄する記事が、今も脳裏に焼き付いている。

まあ、あれが日本の実力だったといえばそれまでだし、また終わってしまったことを嘆いてもしょうがないが、じつに悔やまれる一戦だったことだけは確かだ。それは当の西野監督や香川真司たちが一番良く知っているのではないか。

ただ、いうなればあれが所詮はサッカーだったからまだ良かった。

 

ベルギー代表は、別名 “Red Devils” という。赤い悪魔だ。

中国が、真っ赤な津波であることを考えると、不気味なほどシンクロナイズしていないか。よってぼくは、あの衝撃的な2-3の敗戦が、近い未来のJAPANとCHINAの軍事衝突の結末を暗示している気がしてならない。

サッカーならば負けて終わりだが、それが戦争となると完全な国家解体となる。その時、いくら周章狼狽しても打つ手はない。考えられないかもしれないが、今の在日米軍基地が、在日中国軍基地になる。

西野朗監督が、TEAM JAPANの実際の力をあの時見誤ったように、我々日本人も、NATION JAPANの実際の軍事力を知らない。自衛隊員数が、郵便局員数よりも少ないことも学んでいない。だから、ベルギー戦のように実際は相当劣勢であるにもかかわらず、三点目を取りにいってしまう。

「いざ鎌倉」になった時、どう戦えばいいのかもわからない。その結果はご存知の通りだ。それが今のJAPANの、日本人の実態だ。

この恐るべき状況を、我々はこのまま放置していていいのだろうか。

真っ赤な津波の季節。

それは、チャイナ中心のアジアにすべての国がひれ伏すということだ。

果たしてそれであなたはいいのですか? 物質的発展に傾斜するあまり、なにか大切な忘れ物をしていないだろうか?

 

先にご紹介した本からダライ・ラマ法王の言葉で本稿を締めくくりたい。

「中国は、数え切れぬ虐殺によって、彼らが基本的人権を徹底的に無視していることを証明した。彼らの赤旗を見て抱いた非常な不安感を克服した後(元来赤は危険に対する自然の警戒色なのだ)」

 

青い海ならぬ真っ赤な海は、もうすぐそこまできている。

 

 

Thank you.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷山雄二朗のちちんぷいぷい 「痛いの痛いの飛んでゆけ」 Powered by Japan Broadcasting

春一番!Happy New Spring!

お元気ですか。

今日のTOKYOは唐突な雪ですが、唐突ながら季節の変わり目となる本日春分の日、本JB社説のタイトルを「谷山雄二朗のちちんぷいぷい – 痛いの痛いの飛んでゆけ」に心機一転リニューアルしました!

情けないことに、これまでこのポンポコリンな響きのする昔の言葉を最近まで知りませんでした。たまたま古本屋で手にした一冊を通じて知ったのです。

ぼくが小学一年生の頃、犬に噛まれたり汚い公衆便所の和式トイレで足を踏み外して大転倒・号泣すると、近所のおばちゃんがすっ飛んできて「痛いの痛いの飛んでゆけ〜!」と、何度も何度も摩ってくれた記憶があります。

ただ、その前にこの「ちちんぷいぷい」なる面白い言葉があることは、不覚にも今月知りました。

ちなみに来年は新元号になりますが、それこそ「ちちんぷいぷい – 痛いの痛いの飛んでゆけ!」が生活に溶け込んでいたあの頃 – 昭和五十年代頃の「和」というのか、人間的な温もりそして繋がりは今となっては ‘神がかっている’ と形容できるほど確かなものでした。「知らない人にはついていっちゃダメよ」は、今も昔も同じでしょうが、それでも登校する時は「おはようございます!」と知らないおじさんに幾らでもしたし、老若男女・人間同士がお互いを信頼する社会的雰囲気が確かにあったのです。

「人さらいにさらわれるぞ」(これもまた死語?)と脅す大人もあちこちにいたと思いますが、例えば今からちょうど一年前、千葉の松戸でヴェトナム人の小3のリンちゃんが渋谷某とかいう人間のクズ(しかも’PTA会長’)に、誘拐され虐げられた上に河川敷に捨てられる – といった変態鬼畜による悲劇は、今日のように頻発していなかった。

「口先オンナ」に気をつけるように、とも先生に言われましたが今のMONSTER PARENTS なる我が子に異常に執着し依存していきる鬼過保護な化け物連中もいませんでした。少なくとも、ぼくがオーストラリアに引っ越す8歳のときはいなかった。

つまりデジタル化が加速するに連れて、現代人は確実に劣化している気がしてならないのです。確かに、スマートフォンや、PASMOなどAIによって世の中かなり便利にはなった。とはいえ、個人と個人の距離は確実に狭まるどころかその真逆となった。ファミリーレストランに行っても、4人家族がそれぞれ「おもちゃ」を片手にうつむきながら画面をじーっとみている光景は、明らかに異常ではないですか。ええ、だって会話がほぼまったくないのですから。

かりに今の小学生が、下校中に観光バスほどの巨大な猫に襲われ足首をひねったとしましょう。

ちちんぷいぷい!痛いの痛いの飛んでゆけ〜!」とすぐさま駆け付けて、摩ってくれるおばちゃんが果たして今のジャパーンにいるでしょうか?警察に110番ぐらいはしてくれても、ちちんぷいぷいまでは考えにくい。だいいちそれどころか、我々は銀座線で目の前の高齢者のスーツケースがひっくり返っても見て見ぬ振りする日本人が圧倒的に多い時代にいきている。

ぼくは何も聖人でもお釈迦様でもありませんが(星人の可能性はあるが)、それでも本来でしゃばりなので目と鼻の先で痴漢野郎やモンスター猫に攻撃された人がいたら、大丈夫っすか?とまず駆け寄ります。少なくともうるさい日本人としても「見て見ぬ振り」だけはしないし、できない。

ちょっと長くなってしまいました。

ともあれ、結論にいこう。

今年は明治維新150周年。幕末に、そして昭和のどこかに我々日本人が置き忘れてきた何かアナログなものがある気がする。そして、それを取り戻すためにも、本コンテンツ(社説、ブログ、エッセイ)のタイトルをチェンジしたのです!

そしてもちろん、読者のみなさんが心の怪我をした時は、ちちんぷいぷい 痛いの痛いの飛んでゆけ!

Thank you.

谷山ぷいぷい雄二朗

トランプ・金正恩の「トラ金」会談が、東京で行われるべき5つの理由

The 5 reasons why Trump should meet Kim in Tokyo.

AP通信は今日の正午、アメリカ合衆国大統領トランプ氏が、北朝鮮の金正恩書記長に「五月末までに」会うと約束したと報じた。

それが仮に事実だとするならば、そこで極めて重要なことは日本が蚊帳の外に置かれないことだ。そしてその為にも、「トラ・金」会談は東京で行うことが望ましい。地政学的に「中間地点」でもあり、プロゴルファー・ドナルドとキャディー・シンゾーの密な関係を活かす最大の見せ場でもある。

ホワイトハウスは、「Trump’s meeting with Kim would take place “at a place and time to be determined”. 」との声明を発表。両氏の会談の場所、日時はいずれ決定するということだ。

当の「虎ンプ」大統領は、”Kim Jong Un talked about denuclearization with the South Korean Representatives, not just a freeze” 「金正恩は朝鮮半島の非核化を、韓国代表団と話し合った。凍結だけじゃなく」と自慢げにツイートしたが、11月に中間選挙を控える同氏が国内向けにポイントを稼ぎたいとの思惑も透けて見えてくる。

そこで、「トラ・金会談が、TOKYOで行われるべき5つの理由」を書き下ろしてみたい。

  1. 日本は、当事国だ。北の核兵器が照準を合わせているターゲットは、他ならぬ我が国であり、だからこそ主体的立場で朝鮮半島非核化をリードすべきだ。しかも金正恩は、一昨日韓国代表団と平壌で会った際、「同じ朝鮮民族に核を落とすことはしない」と約束したと一部のメディアでは報じられている。とすれば、やはり現実的な仮想敵国は米国よりも、Japanとなる。
  2. 地政学的に、ワシントンと平壌の間に東京はある。韓国政府は当然ながらすでに水面下では、同国で行うよう働きかけているだろうが(中国も北京開催を狙っている)、北朝鮮からソウルは最短距離で30kmしか離れておらずアメリカ合衆国大統領自らが出向くには、リスクが大きすぎる。金正恩の意思とは関係なく、徹底した反米帝国教育で洗脳されてきた北朝鮮軍部の一部の将校らが「暴発」しないとも限らず、となれば国境沿いに配置されているとされる100万人の北の兵士は、瞬く間にトランプを包囲しかねない。
  3. 箱根にある「富士屋ホテル」が、会談場所にふさわしい。東京から車でわずか1時間。ロマンチストと言われてしまえばそれまでだが、同ホテルは”Imagine”で名高い「ジョン・ウン」ならぬ「ジョン・レノン」が来日するたびに小野洋子夫人と共に宿泊。平和および半島の非核化を話し合うのに、絶好の場所として世界に強いメッセージを発信できる。「トラ金」が、一緒に貸し切り露天風呂に入った暁には、Japan外交の大勝利だ。
  4. 治安面で、TOKYOに勝る大都市はない。なにせ様々な媒体で「世界一安全な大都市」に毎年選ばれているぐらいだ。また、それが箱根ともなれば、ますますテロリストらは急襲しにくくなる。金正恩は、静岡空港から箱根入りするという選択肢もある。ただし、トランプには前回のような「横田基地」からの入国に対して日本政府は事前にNOを突きつけておく。あの手法では、正規の日本入国の法的手続きを取ることなく「米国の政府関係者やCIAは誰でも勝手に出入国できる植民地ジャパーン」という恥ずべき実態を世界に露わにするだけ。
  5. 中国に半島非核化の主導権を渡してはならない。発表されているだけでも、同国の最新の軍事費統計は18兆円。南シナ海および尖閣における慇懃無礼な軍事行動は、ご存知の通りだ。ここでさらにポイントを稼がせてはならない。

以上が、うるさい日本人が思いつく5つの理由である。

言うまでもなく、平壌から陸路でいけるという利点は北京にある。金正恩もその肥満体を飛行機に載せることは、それなりに抵抗があろう。墜落したらお終いだからだ。とはいえ、逆にだからこそ日本政府がトランプに「TOKYOでなければ会わない」と言わせられるか否かが勝敗の分かれ目となろう。いや、そこは何としてでもアメリカ合衆国政府を説得すべきではないか。自衛隊および47,000名の在日米軍が「トラ金会談」の安全性を担保する – ことを武器に、そして「同盟国」として今こそ安倍首相にはその外交手腕を発揮していただきたい。

最後に余談だが、私が幼少期を過ごしたバンコックでは、「トラの金タマ」と呼ばれるフルーツがあった。オランウータンならぬ「ランブータン」がそれで、丸い赤い身に緑の毛が生えてて甘い。そして、たしかに犬などのほ乳類オスの’性器袋’に似ている(虎の金玉は、あいにく見たことがないが)。

もちろん会談が流れる可能性もあろう。どうであれ、平壌のこれまでの有言不実行の狡猾さに騙されぬよう日本人は1秒たりとも油断してはなるまい。繰り返すが、核弾頭を搭載した北のICBMは、東京に照準を合わせているのだから。

ファットバイクで、脱ファット

ファットバイクに、最近ハマっている。

2年ほど前に、バンコックで購入したものを訳あって今月初めて開封したのである。

名前を直訳すれば「肥満自転車」になるわけだが、確かにタイヤの幅は通常のマウンテンバイクの2倍強。うるさい日本人の’Super Fatty 号’ は、13センチぐらいはありそうだ。重さは、20キロ強。

元々は、2005年あたりにアメリカのアラスカ州で’雪の上でも走れる自転車’ ということで始まったらしい、このFat Bike。マイナス40℃でも凍らないようにと、通常のママチャリとは異なりディスクブレーキを装備。原付スクーターと同じブレーキだから、効き目は抜群。

都内で走っているのをチラホラ見かけるようになったけど、まだまだ少数派。一見’威圧感’が凄いため、通りすがりの人びとは好奇心タップリの表情で見る。肥満タイヤと地面が擦れて発生する豪快な走行音も、とても’自転車’とは思えない。

肉体トレーニングのために、ぼくは乗っているのだが、通常の道路よりもオフロードで乗る方が100倍楽しい。なにせ木の根っこや、急な段差などMTBで苦労しそうな山道でも Super Fatty ならばスムーズに走破できるのだから。気付いたら何時間も乗っていたりするので、体脂肪を燃やす、という本来の目的は充分に果たせつつある。

唯一の難点は、通常の駐輪場が使えないこと。肥満タイヤは、完全に規格外なので’まったく’ハマらない。

残念ながら、今日準決勝でアメリカ合衆国に負けてしまったワールド・ベースボール・クラシック。ぼくも応援したけど、兎に角打撃陣があまりにも打てなかった。1得点じゃあ、負けてもしょうがない。

日本野球の代名詞 ‘Small Baseball’ のスモールの真逆を行くファットバイク。

図体だけ大きくてリッター2Kmしか走らないという’Hummer’ のようなアメリカ車には正直惹かれない(最悪)けど、ビッグでチョット重めの’肥満自転車’は「脱肥満」のためには最高。

ケガもしにくいのでは。

規格、規格、規格で金縛り状態にあるジャパーン。

だからこそ、規格外がなくてはならない。さらなる便秘Japanになってしまうし、規格内だらけの国なんてフツーすぎてつまらない。

「そんな大きな乗り物で、この山を走るんじゃない! ただでさえマウンテンバイクで事故が多発してるんだぞ。な、なんだそのタイヤは!なんて常識が欠けている人だ」、と先日、怒鳴ってきた冴えないアラフィフ国産のおっサン(登山客。ここではジェフと呼ぶ)がいてね。

「はあ、良かったらあなたも乗ってみませんか?!」 と、うるさい日本人が言うと

「なんだと!もう一回言ってみろ!」
、と顔を真っ赤にし勝手に興奮している。

そもそも、その’常識’ って何だろう。誰が、いつ、どこで決めたんだろう?! また、怪我しようが事故ろうが自己責任でいいものを「MTBでスリップしたり転落した前例があるから君もやめろ」という、相変わらずの画一的かつ役人的な発想。

これが、我が国が過去25年間まったく経済成長していない最大の理由なのかもしれないね。アレをやっちゃダメ、これをやっちゃダメという「規制」と行政ルールが多すぎる。

Uber やLyftなどのシェアライド一つとっても、それが世界的潮流なのに年寄り国家ジャパーンだけが「それは白タクだ!」という古い寅さん時代の発想から脱却できない。よって禁止されたまま。

「CO2を削減し、地球温暖化を抑える効率的な Share ride」という新しい考えは、ジェフのような説教くさい日本人には理解できないんだね。

そもそも、最近東京都内のタクシーは、410円に’値下げした’ ことになってるけど、それは明らかに茶番で実際は値上げしている。最初の1キロだけ安くなるってだけのことで、それ以降は逆に距離あたりの料金は高騰しているわけだ。だいいち、1キロしか乗らない乗客なんて、殆どいない。

つまりあの「410円」ってのは、見せかけの「改革」、かつ既存のタクシー業界を保護するための騙し討ちであることに、ぼくらも気づかねばいけないね。あれは、実質的な値上げなんだ。

それもUberら新しいイノヴェーションから、既存勢力を守るための。言語道断。

そもそも新しいチャレンジには、壁や揉め事はつきものじゃないか。それを恐れて何もしないのでは、世の中は脳梗塞を起こしてしまうね。

「安全じゃないから、Super Fatty なんか乗るんじゃない」、というジェフの考えは今日、日本野球を破ったアメリカ合衆国では考えられない。あの国では、Grand Canyon 渓谷にさえフェンスがない自由の国。落ちたら自己責任だよ、と。

そういえば、先月訪れたユーラシア大陸最西端に位置するポルトガルの Cabo da Roca (ロカ岬)にも、崖っ淵まで簡単に行けた。花束が添えられている場所もあったから、おそらく以前落ちた人がいたのだろう。

それでも、リスクを背負って楽しみたい人はご自由にどうぞ、とフェンスは設置されない。

海外では、それが’常識’。

そういえば、安全と安心を適当にねちねち織り交ぜてそれを表向き理由にフィッシュ・マーケットの移転を7月まで遅らせようとしている薄化粧レディーが、極東のどっかにいたような。

結局は、彼女もリスクを背負えないジェフと同じ。住民投票するって?! それは責任回避というもので、リーダーとして失格。無責任。

このままじゃあ新しいTOKYO など、夢のまた夢。

ドンドンいこう、規格外!

Good sharing!

And Good Rising!

Thank you.

雄乃字

谷山雄二朗が書く二刀流の社説「OUTSPOKEN SAMURAI」Japan Broadcasting

こんにちは。うるさい日本人、谷山雄二朗です。

本日、新しいコンテンツがキックオフしました。

その名もズバリ、「JB」。別名 「OUTSPOKEN SAMURAI 」。

何を隠そう、格好良く言うならば、JAPAN BROADCASTING . NET – JB の社説のようなものです。

Editorial, Column, Blog, Essay, 書き物。

Global Digital Entertainment.

ちなみに、この「JB」に関しては、次のacronym, すなわち頭字語を意味している。

J = Japan、Jump(跳ぶ)、Join(合体する、つなぐ)、Joke(ユーモア、滑稽、じょうだん、おどけ)、Jubilant(歓喜と熱狂あふれる)、Journey、Journalism、地侍、熟慮、自立国家、自尊独立、神社、JoyJump

B=Broadcast, Bushido, 冒険、Boundless(無限の)、Borderless(国境なき)、文章、Bold(大胆)、Blog、ばか者たれ、Bilingual、Buddhism(仏教)、爆発力、Bilateral(相互の)、Benevolence(寛容の精神), Battle (戦い)、Ballistic(弾道の)、Beautiful, Beer, Beginning(はじまり)、Biscuit, Brave(勇敢な)、Bravo(ブラボー)、Brightly(明るく!)

「英国にhumorあり、米国にjokeあり、そしてフランスにwitあり」とはよく言われるが、では日本人の国民性とは何ぞや。勤勉は確かに美徳なのかもしれないが、それも一昔前のこと。過労死が社会問題しているこの頃だが、自分の仕事は終わっているのに「先輩がまだ帰宅しないから」とかいう理由で、夜10時まで社内に残ることはもはや “勤勉” でも何でもなく、思考停止以外の何ものでもない。

どうも日本人は根本的に’まじめすぎる’。それでは、InnovationにつながるIDEASはどうしても生まれにくくなる。ただでさえ超マニュアル社会なのだから。

よってこれから始めるこの「JB」では、あえてその真面目の真逆を行き、あえて「不真面目さ & ゆるさ」をも重視しつつアップデートしていこうと思う。そう、最も軽いとされる元素ヘリウムよりも軽く、気張らずに。

“OUTSPOKEN SAMURAI” は、なんせ我が社の「社説」。

社是を重んじつつも、’うるさい日本人’の直感を読者に話しかけるようなスタイルでぶつけていきたい。

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