Speech by Megumi’s MOM | 横田めぐみさんママの声を、今こそ金正恩に届ける時

「拉致問題と言われていますが、これは本当は’問題’ではなくて事件なんです。何の罪のない人が突然他国にさらわれていくのですから」

横田早紀江さんの言葉だ。ぼくは先日、拉致を解決するための集会に参加した。200名ほどでいっぱいになる川崎市平和記念館が会場だ。最前列ど真ん中の席を確保し、2時のスタート前には座席は埋め尽くされた。ただ、その光景をみた第一印象は、高齢者が大半を占めているということに尽きる。時間とお金があるのは、たしかに年配の人たちだからといえばそれまでだが、10代、20代ミレニアム世代がぶいぶい言わせている米国トランプの集会などに比べると、その「大人しさ」と「グランパ感」には正直圧倒された。というか、見渡す限り10代はおろか二十歳前後の男女を見出すのは、トムクルーズのMission Impossibleに近いものがあった。

 

https://youtu.be/92_bDV0Wa00

1977年11月15日、新潟の海岸そばで北朝鮮に拉致された横田めぐみさんは、当時13歳のバトミントン少女だった。先週の10月5日に54歳の誕生日を迎えられたことを考えると、時が経つのは実に早い。早紀江さんたち拉致被害者の家族をサポートしている「あさがおの会」のお姉さんたちは、まるで女子高生の如きストレンスを醸し出しており心強かったが、とはいえ全体的にもっともっと学生たちに「拉致事件」を広めていく必要があるのではないか。それが率直な思いだ。

ブロガー谷山雄二朗、今回はその場で見たもの感じたものをストレートに読者に伝えることにする。一人でも多くの日本人とシェアすべきだと考えるからに他ならない。

午後2時の開演直前、横田早紀江さんがご入場された。ぼくの斜め前の関係者席に座られたが、インターネットやその他メディアでご拝見するよりも御年齢を感じさせられた。1977年の今頃、突然「行方不明」になった愛娘を探すこと今年で41年。その塗炭の苦しみおよびストレスは、到底我々の想像を絶する次元でないわけがない。今回アップロードしたショート・ヴィデオを見ればわかるように、早紀江さんは若い頃からそれは大変美しい方であった。しかしながら読者もご存知のように、ここ四十一年間はめぐみさんを救出すべく戦ってこられた。1997年になるまで、即ち「北朝鮮の国家犯罪だった」ことが判明するまでじつに20年もかかったこの「事件」を考えれば、Japanという列島が果たして本当に国家の体をなしているのか疑わしいと言わざるを得ない。そしてそれを最も痛感されているのもまた、横田滋さん、早紀江さん、拓也さんたちをはじめとする拉致被害者のご家族の方々に違いない。

いずれにせよ、ぼくが初めて肉眼でみた早紀江さん(馴れ馴れしく聞こえるかもしれないが、これが一番自然なのでそう呼ばせていただきます)は、実に美しい方であった。頭髪は雲の色になられ、お顔には無数のラインが刻まれている。その背中はじつに小さく、繊細だ。しかしながらぼくはそこにとてつもない美と滴り落ちるかのような気品及び剛健さをも肌で感じたのはなぜだろう。

確か五木寛之がなんらかの連載コラムで「金、金、金の世の中だ」と書いていたが、残念ながらぼくはそれを否定できるほどの立派な人間ではない。しかし横田早紀江さん、飯塚耕一郎さん、蓮池透さん、曽我ひとみさんたち拉致被害者家族の方々が戦ってきたこの「事件」は、決してお金では解決できない性質のものだ。何百万、何千万、何億円を積んでも愛する家族を取り戻すことはこれぞMission Impossible(MI)。その「解決策のない」血の滲むような苦悩と気の遠くなるような40年もの間(来年で42年目になる)体を張って猛進してこられた早紀江さんのその後ろ姿に、ぼくは地球より大きいものを感じたのかもしれない。そして自分の小ささも。

やがてめぐみさんの弟の拓也さんが会場に現れ、それに続き菅義偉官房長官が入り、早紀江さんの隣に座った。ぼくは今から五年ほど前、偶然東京駅新幹線ホームで同氏とすれ違って以来、勝手に同氏に親近感を抱いているが、最近「拉致担当大臣」なる新ポストを兼任することになったという。とはいえ、国は、政府はこれまで北朝鮮に取り残されている同胞たちを事実上見殺しにしてきた。これは何も菅さん一人に責任を押し付ける訳ではないものの、2002年の小泉訪朝でわずか5名の日本人が救出されただけで、この16年間何もできないできたことを考えると、我々一般の国民は決して政府への厳しい視線を切らしてはなるまい。だいいち、国民も国境も守れずしてなんのための国会議員か。化粧するだけが才能の三原じゅん子さんのような ‘fake politicians’ が、この国は単純に多すぎるのだ。そして何と言っても無能で、無気力で無思考の世襲議員の圧倒的数的優位が、横田めぐみさんたち同胞の救出にこの41年間障害物として作用してきたことを、いったい誰が否定できよう。アメリカ合衆国のダイナミズムは、その「世襲の欠如」からうまれている。せいぜいブッシュ親子ぐらいだ。その点、ぼくは菅義偉というマーヴェリックなポリティシャン(少なくともその親類に元首相はいない)に、密かに期待している。

川崎の福田市長が、オープニング挨拶をした。最初はテニスの松岡修造かと思ったが、「私はこの集会は毎年これが最後であることを願っています。北朝鮮から全員が帰国すれば、もう開く必要がありません」と、じつに心に染みる言葉をマイクに吹き込んだ。そうだ、その通りだ。横田ご夫妻は、長年川崎に住んでこられたということもあり、市のバックアップ、そしてご近所のみなさんの支援体制も目にみはるものがある。1990年代の終わりごろだったと思うが、JR川崎駅前のビルの一室で「横田めぐみさん写真展」が行われ足を運んだことがあった。あの時も、川崎市主催か後援だったと記憶している。今年の春、新宿駅の地下通路でめぐみさんの写真展示ディスプレーに行った時も、あさがおの会がフルサポートしていた。カネ、カネ

カネの現代において純粋に凄い人たちだと言わざるを得ない。武士だ。

菅さんが登壇した。そのスピーチの一部は、ニュースでも大きく報道されたのでここで述べるまでもない。「今が正念場」とのニュアンスを感じたが、軍備なき外交を標榜する我が国の政府に過度に期待しては到底なるまい。相手が狡猾極まりない北朝鮮であるならば尚更だ。どうであれ、この神奈川肉ならぬ神奈川二区(勝手に変換されてしまった、神奈川ビーフ)の官房長官からは誠意が伝わってきた。ぼくに欠けているものだけに、大いに勉強になった。とはいえ、そのSincerityだけでは横田めぐみさんたちは帰ってこないのも事実だ。

金正恩に語りかけた横田早紀江さん

そして早紀江さんがご登壇された。そのお姿をニュースで拝見した読者もいるだろうが、数秒間の映像を切り取って編集後に番組で使われるため全体像を掴めないのがいけない。だからこそ、今回、Team JBとともに作ったショート・ヴィデオはフルにアップロードさせていただいた。

結論からいえば、すべての日本人が横田めぐみさんのお母さんの言葉に耳を傾けるべきだとの一点に尽きる。これまでこれといった支援活動をしてこなかった身としては、偉そうに言える立場にないのは毛頭承知している。そこは反省材料だが、率直な話これまでぼくはどうすればめぐみさんたちの救出に関われるのか、まったく見当がつかなかったのだ。自分に一体何ができるのかわからかなったのだ。いや、現時点でも確信をもっているわけではない。おそらく大半の読者も同じではないだろうか。単なる狼少年の遠吠えというか、言い訳にすぎないといえばそれまでだが、それが偽らざる素直な気持ちだ。そしてそれは同時に、ぼくが「逃げてきた」ことの同義語ともいえる。横田滋さんや早紀江さんたちが戦っていたとき、ぼくは逃げていたのだ。ただおこがましく言わせていただくのならば、いや、ぼくも、あなたも自民党議員も誰もかれもが放置していたわけだ。その間、早紀江さんの美しい髪のカラーは変化し、曽我ひとみさんの夫は天国に召された。

うまくは決して言えない。ただ言えることは、今までのぼくは間違っていたということだ。お調子者のトランプさんと、肥満児のキムさんがシンガポールで会談した今、どんな手段を取ろうとも、いかなる道を外れたマキアヴェリズムに徹しようともわれわれは日本人として同じ日本人を助けるべきではないか。巨人の次期監督がHARAさんになろうとも、EGAWAさんになろうともどうでもいいことだ。ただ、金正恩さんが自分の祖父および父親の代に行われた国家犯罪に対し真摯に向き合い、それを償う気持ちが1mgでもあれば、それはこれまでのMIが、インポッシブルならぬ “Mission Possible” 即ち拉致被害者救出というこれまで考えられなかった筋書きへと180度転換しうるということに他ならない。

早紀江さんはスピーチのなかで、北朝鮮の三代目に真摯に語りかけられた。思えば被害者のご家族たちは、金日成、金正日そして金正恩と三代の最高権力者たちと戦ってきたとてつもない侍たちだ。誇り高き日本人だ。ただもう時間がない。横田滋さんは、胃ろうをされていると少し前に新聞で読んだ。やはり「今」が勝負だ、1秒1秒が。

室町時代の15世紀から16世紀さらには朱印船貿易が行われた頃、我が国の祖先たちは中国王朝、朝鮮そして東南アジア諸国に日本刀を売って外貨を稼いだ。他に類を見ないほど「キレた」からだ。それでは、この21世紀の刀とは何か。情けなくも憲法により軍事力に制約がかけられたままの今、それは日本海のはるか向こうに片手を伸ばし故郷の大地をもう一度踏みたいとの一心で助けをまっている人々を想う力、Imaginationではないだろうか。アインシュタインはかつていった。

Imagination is more important than knowledge.

今こそ日本刀を帯刀しようではないか。

自民党首選は、時代遅れである 【谷山雄二朗】

それにしても、異様な’選挙’である。

日本の最高権力者を決めるイヴェントなのに、国民が参加できないのだから。蘇我氏と物部氏ならぬ安倍氏と石破氏の対決という構図ながら、盛り上がりはゼロに近い。一方的に盛り上がっているのは、時間とお金に余裕のある高齢者と旧態依然のマスコミだけだ。ほとんどの国民は無関心だし、トランプを生んだ2016年アメリカ大統領選挙に比べたら、恐ろしくショボい。

だが、果たしてこの低落でいいのか。

形骸化している「自民党首選」の実態は、その日程をみれば一目瞭然。今回は9月10日にスタートし、20日に投票だから選挙期間はたった9日しかない。茶番そのものではないか。予備選を含めると一年以上続く米大統領選と比べれば、その異常さが浮き彫りになる。

9月18日に発表されたNHK世論調査では、安倍内閣の支持率はわずか42%。内閣でこのレヴェルということは、森友・加計スキャンダルもあり安倍氏個人の支持率となればその半分以下かもしれない。つまり日本の総理大臣をアメリカや韓国のように大統領制即ち国民の直接投票で行った場合、安倍晋三ではなく橋下徹と書く人のほうが圧倒的に多数を占めるにちがいない。

ところが、そうした国民の声は我が国の政治にはまったく反映されない。

「日本は大統領制じゃないから」は、言い訳になり得ない。「政治的空白を作らないため選挙は短く」というのは詭弁にしか聞こえない。立憲君主制のわが国では、最大与党の党首が総理大臣になることが「常識」とされる。米国のそれとシステム上単純比較できないことは確かだが、世界第3位の経済大国のトップが、わずか九日間の形式だけの党首選をやることにどれほど意味があるのか。今回の党首選を異常と感じているのは、果たしてぼくだけなのだろうか。

1890年に第一回帝国議会が開かれて以来、日本の首相選出システムは一度も変わっていない。こちらの方が異常ではないか。ラーメン二郎の味でさえ微妙に変化するように、時代とともにCHANGEすべきは変える。それぞ正常な姿だ。

石破氏が立候補したことは、良いことだ。無投票で現職が再選されることほど、人畜有害な茶番はないから。しかしながら、前述した通りわずか九日間でしかも二、三回しか本格的な公開討論をしない訳だから、結局は自民党の自民党による自民党のための選挙以外の何物でもない。国民は関係ない。

これを政治の私物化という。

勝ち馬に乗れ!と打算深い連中は、与党、メディア関係者揃って安倍支持に傾いているが驚くに値しない。

「森友問題に関係した財務省の役人は、自害した。一人の人間が死んだことは事実であり、そこは誠意をもって真相解明せねばならない」といった類の発言を石破氏はある討論会で述べた。最もなことだ。さまざまな世論調査の結果を見る限り、安倍氏が十分に説明責任を果たしたと考えている国民はほとんどいない。しかしその翌日の産経新聞は、ぼくが読んだ限りでは上の石破氏の発言を掲載していなかった。それが忖度によるものなのかどうかは知らないが、同新聞に期待している者の一人としては首を傾げざるを得ない。

なにせ天下のJAPANの指導者を決める選挙だ。少なくとも情報はすべて100%国民にオープンにすべきだと考える。判断材料として、公開ディベートも少なくとも10回は行ってほしい。

ところが、今の日本の時代遅れの立憲君主制システムがそれを許さない。よって安倍氏も石破氏もいったい「日本をどのような国にしたいのか」という明確なヴィジョンを国民に分かる形でまったく説明し得ていない。GDPがどれだけ増えたとか、訪日観光客がどれだけ増えたとか役所があげる数字を列挙しているにすぎない。

これを、政治的茶番という。

ちなみに、ぼくはなにも anti 安倍でもpro 石破でもない。Japanが強い、素晴らしい国になってほしいだけだ。ただ、どう考えても今の「自民党の自民党による自民党のための党首選」のシステムは、この国を腐敗させると考える。立憲民主制の根本を問うものだが、果たしてなんとかならないものか。

ドナルド・トランプは、ヒラリーに “loose cannon”と揶揄されたほど予測不能かつ朝令暮改の男だが、少なくとも彼は前回の大統領選挙予備選ではブッシュ弟を撃沈し、フロリダ州のルビオを迎撃し、テキサス州のクルーズを破壊し、最後はビル・クリントン(ビルクリ)の妻を葬った。言葉によって、である。公開討論の場で、である。そこにトランプの凄さがある。米国民は今もなお割れているとされるが、この事実だけはどの民主党支持者でも否定できない。

翻って日本はどうか。

時間ない、討論ない、ヴィジョンない。そして最悪なことに国民不在。だいいち、われわれ一人一人の胸に迫ってくる言葉がない。

これで安倍氏が明日、勝利したところでいったいどんな意味があるのだろうか。日本の国土は、米国のわずか25分の1にすぎない。さらに公開討論の時間は、計算した訳ではないが米大統領選に比べて100分の1程度だろう。つまり、それだけ日本の政治家には言葉が不要だということだ。言葉がない政治とは、いったい何なのか。世襲ビジネスだ。そうか、結局のところ日本は立憲君主制どころか実は単なる世襲制なのではないか。今日の夕方5時半に、秋葉原で街頭スピーチを行ったのは、岸信介元総理大臣の孫で安倍晋太郎外相の息子だった。「批判だけしていてもなにも生み出すことはできない。私たちは無駄な批判はしない」と、クレヨンしんちゃんならぬ安倍の晋ちゃんは石破氏を暗に揶揄したが、現職の首相としてはあまりに器の小さを露呈する発言であった。

人間、批判精神を失ったらお終いである。

前の戦争は、それを忘れ盲従した日本人が要職を占めていたからこそ起きたのではなかったか。ちなみに岸信介の孫の隣りで応援歌を歌ったのは、吉田茂の孫であった。

ちょうどその頃、石破候補はハチ公前で犬のように吠えていた。

「真実を語らない政治家は、国民を信じていないのだと思う。国民を信じていない政治家が、国民から信用されるはずがない」と、安倍候補を批判した。隣りで応援歌を熱唱したのは、中谷貞頼元衆議院議員の孫だった。

また、数日前にあるTV局の「両候補出演番組」をみたが、「アベノミクスを採点すれば、何点ですか」との問いに対し、当の安倍氏は74点をつけた。数字はともかくとして、その表情は随時緩みっぱなしだったのが一番印象に残った。その緊張感および迫力のなさは、米国だったら予備選の段階で脱落するレヴェルに思えた。あえて言っておくが、ぼくは何も石破氏が首相にふさわしいと強調しているのではない。また、安倍氏が10年ほどまえに書いた「美しい国へ」が、かつて心の琴線に触れたことも正直に告白しておきたい。

ところが、だ。今の同氏に、ある種の驕りが感じられるのはなぜだろう。

安倍でなければトランプは説得できない、とかプーチンとの大きな信頼関係を構築した、と安倍応援団らはよく強調するが、いくらゴルフは一緒に回ってもトランプのスチール25%、アルミニウム10%の対日関税発動を抑えることはできなかったし、それに対して報復措置はおろか抗議一つ出来なかった。プーチンに至っては去年末は三時間ほど会談予定地で待ちぼうけをくらい、先週のサミットにいたっては「北方領土抜きの平和条約はどうだろう」を逆提案される始末。軽視されているといっても過言ではない。

かといって、繰り返すがなにも吉田茂、いや石破茂が総理大臣にふさわしいと言っているわけではない。ただ、慰安婦‘合意’一つとってもその場凌ぎとしか考えられない短期的な視野の’政策’ないしは’失策’も多々あるということだ。読者もご存知のとおり、慰安婦においては「結果」が出ているとは到底言い難い。

ぼくがここで強調したいことは、知識人ないしは指導者とされる人々の言葉を、もっともっと疑えということだ。江戸時代260年で権力に飼いならされすぎた日本人は、「お上」という言葉があるように権力者に対し抵抗力がなさすぎる。前回、安倍氏に対し対抗馬が一人も出なかったことも、同党内がいかに去勢された羊の群れかがうかがい知れる。

日本国民は、今こそ批判精神を再確認すると同時にどんな権力でも長期化すると腐敗するということを肝に銘じておくべきではないか。

18才の女子選手が告発した体操界でも、チンピラがトップにいたボクシング界でも、ハゲのおっさんが牛耳っていたというレスリング界でもどこでも長期政権は必ずといっていいほど堕落することを歴史は証明している。

政界が例外であるはずがない。

明日の結果がどうなろうとも、ぼくが先日みた安倍晋三首相の糸の切れたタコのような緩みっぱなしの顔は、日本を牽引する者とは思えなかった。吉田松陰や高杉晋作を彷彿させる目の輝きなど微塵もなかった。政権に安住し、既得権益固めに走り、権力のための権力に酔いしれる新橋ガード下の中年にしか見えなかった。以前の安倍氏の目には、もっと刺すような鋭さがあったことは言うまでもない。

数がすべてが政界の論理といえばそれまでだが、そうした打算的かつ保身しか考えない連中が増えると、日本はますます劣化していく。

最後にいう。

やはり「自民党首選」即ち日本の立憲君主制は、時代遅れである。

事実上の世襲制だからだ。世界広しといえども、古今東西この国ほど世襲の溜まり場と化している政界はいない。群馬の美しいおばさんこと小渕優子氏を初の女性首相に、と真剣に考えているめでたい高齢者が未だに少なくないそうだが、そうしたアイデアが浮上すること自体、日本は極めて重症である。

憲法改正の国民投票以前に、総理大臣を国民が直接選べるシステムの導入こそが、21世紀日本をより強く面白い国にするとぼくは考える者である。

アメリカ人の大坂なおみが、日本人になるために

松下幸之助は言っている。「日本はよい国である。よいものがあっても、そのよさを知らなければ、それは無きに等しい」と。

全米オープンテニス女子を制したNaomi Osakaの偉業を、強調しすぎることは無い。心から祝福する。ただ、彼女を盲目的に「日本の大坂なおみが優勝しました」と持ち上げ、自己陶酔に国民を導くこの国の新聞とTVの無知蒙昧は、いかに我が民族に物事に対する物差しが欠如しているかの裏返しでもある。

結論から言おう。彼女の中身は、99.9%アメリカ人である。

AP通信の報道によると、Osaka選手は日本人の母とハイチ人の父の間に日本で生まれ3歳の時に米国に移住。それ以来、フロリダ州を住居としているとのことなので、厳密にいうならば「移民」(米国側からみれば)の如き存在である。トランプが度々取り上げる「不法移民」ではないが。

いや、言うまでもなくすでに米国籍を取得しているのかもしれない。とはいえ、”Japanese”として国際試合に出場している以上、TOKYO2020までにはそれを破棄し二重国籍状態をなくすと思われる。

世界のPanasonic創業者である松下幸之助の言葉を冒頭で紹介したが、彼のいう「日本のよさ」をNaomiは99.9%知らない。3歳からアメリカ在住なのだから当然だ。米ニューヨークタイムズ紙は、彼女の母であるTamaki氏がここ10年以上、日本家族とは “little contact” 即ちほぼ不通状態にあったと報じている。

それがおそらく事実であろうことは、Naomiがほとんど日本語を喋れないことからもうかがえる。優勝後の翌日に行われたNHKインタヴューで冒頭に「イマワ シンジラレナイ。スシ、オイシカッタ」と可愛らしい声で言ったものの、結局それだけ。続いての「大きな舞台にはるほどいいプレーができると思っている」「今月の東京の試合でも頑張りたい」などそれ以外は、完璧な米語。 つまり日本語では言えないということだ。ただ「日本人」として出場している以上、なにか最後に日本語で言わねばならないと思ったのか「キノウノ シアイ カッタ。オウエン アリガトウ ゴザイマス」(5秒)。そしてその後なぜか「コンバンワー ハハハ」「オヤスミー」と、米国アクセントでインタヴュー内容となんの脈絡もないカットが出てくるので、これは演出上、NHK側に言わされたのに違いない。

断っておくが、ぼくはここでNaomi Osaka選手を呵呵大笑するつもりも、卑下する考えも毛頭ない。前述したように、彼女はテニス界の新女王であり、これまでに血の滲むような努力があったであろう事は想像に難くない。ビッグな快挙だ。ただ、極めてプロブレマティックなのは、「では日本人とは何なのか」という根本的な命題が今回の一連の「大坂なおみ報道」からまったく欠けていることである。

単純な話、ぼくにはなぜ彼女が住み慣れたアメリカ国籍でなく、日本国籍で出場するのか不思議なのだ。なぜならばもしも本当に「日本人」としての誇りを持っているのであれば、間違いなくその言語を学ぶはずだからだ。僭越ながらぼく自身は8歳の時、父の仕事の関係で南オーストラリア州に引っ越したが、毎日漢字を20個書かなくてはお小遣いを貰えなかった。小学校は現地校だったが、通常の英語で行われる授業とは別途に通信教育(わずかな量だが)で日本語を学び続けた。日本人としてのアイデンティティを育むためであり、そうしてくれたことに対し親には感謝している。

ところが、Osaka選手はこうした日本人ならば当然行うであろう「母国語」の基礎教育をまったく受けてこなかったと思われる。でなければ、あの訪日外国人レヴェルのあの日本語は説明がつかない。名前こそOsaka = 大阪と、日本の第2都市ながら母親のTamaki氏には娘を日本人として育てる気持ちは毛頭なかった、と考えるのが自然だ。にもかかわらず、なぜNaomi Osakaは日本人として国際試合に出場しているのか。その点が、どうしても腑に落ちない。日本のスポンサーを得やすいとの打算が働いている可能性が極めて高いが、となれば一体「日本人」とは何なのか。所詮はスーパーで売買できる便利な商品にすぎないのではないか、との結論に達しざるを得ない。

たかが日本人、たかがオーサカナオミと言うなかれ。

というのも、言葉と国民は相即不離の関係にあるからである。

少子高齢化で労働者人口が激減しているわが国には今、過去最高の249万人の外国人が暮らしている。今年の6月、政府は2025年までに新たに50万人の外国人を新たに受け入れることを決定した。しかも新たに外国人労働者に求めるレヴェルは、日本語能力試験のN4、つまり「ややゆっくりとした会話であれば内容がほぼ理解できる」水準だが、農業と建設業ではそれさえも不要だとか。

Naomi Osaka選手は世界的なテニスプレーヤーだが、日本語に関してはこの「N4」のレヴェルにさえ達していないはずだ。安倍首相は、彼女と同レヴェルすなわち日本語の会話もままならない外国人を50万人受け入れることを「移民政策ではない」と、不思議かつ荒唐無稽として思えない発言をしているが、その背景にあるのは日本に未だ根強い排外主義だ。ぼく自身は、ファミリーマートや7Eleven一つみても分かるように現在の深刻な人手不足の状況からすれば、外国人労働者は当然ながら大幅に増やすべきだと考える者である。とはいえ、「N4」にも達しない、ほとんど日本語が通じない外国人を受け入れることに対しては反対だ。にもかかわらず政府が事実上それを許可し、どうじに「移民政策ではない」との詭弁に徹していることは「日本人」の定義があやふや千万だからではないのか。日本語ができない人は、日本人にはなれません。それが政府と国民の本音なのに、国際世論および排外的との批判を恐れてか誰も言わない。付け焼き刃は鈍りやすい、と昔から言うがこうした日本人の曖昧な態度が、国家としてのインテグリティを損なうことは明白すぎることだ。

そのご都合主義は、メディアも政府も変わらない。

「保守」とされ、移民受け入れにより懐疑的なスタンスを取る読売と産経にしても、今回のNaomi選手の快挙に関しては「日本人の大坂なおみ、優勝!」といったスタンスで美味しい部分だけを切り取っている。普段は、憲法9条改正とか独立自尊とか国家の誇りとか愛国心を基軸に紙面を作りながら、アメリカ人としてフロリダで事実上育ったNaomi Osaka選手に対してだけは、その日本語力の欠如を問わない紙面づくりに終始しているのはもう滑稽そのものだ。

最新の人口動態調査によると、日本の人口は2018年1月1日現在で過去最大となる37万人減少した。逆に外国人人口は、過去最多となる249万7656人をマーク。後者が今後、右肩上がりで伸びていくことを考えると「日本人」とは何なのかを真剣に我々一人一人が自問自答することが急務ではないか。

ドナルド・トランプ米国大統領の英語力は、小4レヴェルだとされる。

大坂なおみよ、2020年夏までに少なくとも同レヴェルまで日本語を磨いてくれないか?でなければ、ぼくはどうしても先のインタヴューの最後に「コンバンワー」「オヤスミ」と不自然な一言カットを挿入せねば日本人アイデンティティを匂わすことさえ出来ない君を、日本人としては応援できない。だいいち、天照す大神さえもおそらく知らないであろう君が仮に東京五輪テニスで金メダルを取ったところで、君が代を唄えるのか?猫ひろしが、カンボジア国家をまったく歌えなくても構わないが、全米覇者が「母国の国歌をしらない」となれば抱腹絶倒ものですぞ。

最後に松下幸之助はこうも言っている。

「もう一度この国のよさを見直してみたい。そして、日本人としての誇りを、おたがいに持ち直してみたい。考え直してみたい」と。

Naomi, 君はあらためて自分の国籍のほうを考え直してみてはどうだろう?

そして本当に”Japanese”になる覚悟があるならば、くどいようだが言葉だ。

And if you need a tough spartan, strict teacher, you know who to call!

Good evening and good nite!

谷山雄二朗 – Japan Broadcasting.net Editor in Chief

障害者雇用の水増し、ラーメン二郎の増しまし

Editor in Chief 谷山雄二朗

 

ラーメン二郎が、好きだ。三田本店と、目黒店がお気に入り。

なんたって本店には、創業者のオヤジさんがいる。その肥えたパグのような人懐っこい笑顔は、カウンター席の客を魅了せずにはいられない。

その日は、雨だった。

ちびまる子ちゃんの漫画本を三冊、古本屋で入手した後にぼくは本店に向かった。夕方の閉店間近だったこともあり、幸運にも行列に並ぶことなくすぐに座れた。

「小ブタ」

のチケットをカウンターの台の上に置いた。

左右を見渡すと、みなスーツを着たサラリーマン風の男たちだった。遅い昼飯か、早めの夕食か単なるおやつ代わりか、それは知らない。

数分後、三十代風の若手のマスター(オヤジさんはこの時間は、なかなかいない)が、一番左側の席から順にお好みトッピング・リクエストを聞き始めた。ラーメン二郎恒例の光景である。野菜、にんにく、濃いめ、油の四種類の希望を出せる。

沢山欲しい場合は、「マシマシ」と言えばよい。

昭和六十一年に出た「ちびまる子ちゃん 第一巻」をリュックにしまい、ぼくはリクエスト体制に入った。

左片隅にいた太った五十代風の油ギッシュな男が、言った。

「障害者マシマシ」

マスターが答える。「へい、何人ほど?」

「125人」

外務省吾というネームプレートを首からぶら下げたその男は、宋の宦官のような小さな声で言った。

「アンタんところは確か、点検前は150名だったね。ってことは、結局25名しか障害者を雇用してなかったってことか」

腹をすかせた外務氏は、媚びるような目で無言を貫いた。激昂したマスターは、チェンマイから最近取り寄せた激辛の青唐辛子125本分のエキスをチャーシューの裏に密かに混入した。

 

その隣りの男は、環境省吾という名前らしかった。少なくとも、ネームプレートにはそう書いてある。

「え〜っと、障害者マシマシ」

マスターが頷く。「どれくらいで」

「31名」

「アンタんところは、点検前は46名だったね。ってことは、結局15名しか障害者を雇ってなかったってことか」

タイ産青唐辛子31本分の透明エキスが、密かにチャーシューの下に混入されカウンター越しに出された。

 

その隣の客は、文科省子という名前だった。

最初は男だと思ったが、女のようだ。よくよく見ると、ヒゲが生えていないし、第一にのどちんこがない。

「私も、障害者マシマシで」

「へい、どれほどで」

「35名でお願いします」

「アンタんところは、確か先週は51名だったね。ってことは、結局16名しか車椅子の人材を雇ってなかったってことか」

文科省子は、アラフィフ風ながら髪はポニーテールにチェック柄ミニスカートという苦しすぎるセルフ・プロデュースに徹していた。マスターは苦笑いしながらも、容赦なく青唐辛子ペキヌンを35本瞬時におろし、それをチャーシューの裏に入れた。

 

ちなみにこの「ペキヌン」には、CIAとジェームズ・ボンドのMi6が共同開発した超特殊加工が施されており、食後60分後にその地獄の辛さが体内に広がり始めるという、恐ろしい生物兵器なのだった。マスターは、TBSの水戸黄門を3才の頃からこよなく愛していたため、社会正義のためには少々荒治療が必要だと考えていたのである。

確かに、よく見ると両脇でアシスタントを務める二人は、スケさんとカクさんクリソツであった。

 

朝から何も食べていなかったぼくは、もうお腹がペコペコだったが、自分の番が回ってくる前にもう一人いた。

そのオッサンは、ビールっ腹でみるからに悪人面をしていた。紳士服の赤山のグレースーツにその痩せ身を包み、決して人と目を合わせなかった。「国税庁二郎」なる名札を首からぶら下げた彼は、ラーメン二郎のなかで最も高額モンスターメニュー「大ダブル」を注文していた。

 

「障害者雇用マシマシ」

コクゼイチョージローは、張った声で言った。

マスターは、50時間煮込んだ豚骨スープを巨大ドンブリに注ぎながら「へい、どれほどで」と答える。

衝撃が店内に走ったのは、すぐその直後のことだった。

「1022名」

数秒間、間があった。

「アンタんところは、確か点検前は1411名だったね。ってことは実際は389名しか障害者を雇用してなかったってことか」

国税庁二郎は、うつむいたままお箸を握りしめている。

「せ、千名以上の水増しだぜ旦那。どう責任をとってくれるんだ、ん?」山口組(分裂前)の大ボスを彷彿させるレーザー視線が、国税氏のブヨブヨの肉体にぶすぶす斬り込んでいく。

いつの間にか、同氏の足元が若干湿っているのが見受けられた。小刻みに震えながらあろうことか彼は失禁していたのである。

ペキヌン1022本分が、巨大チャーシューの裏に秘密裏に練り込まれたことは言うまでもない。天下のラーメン二郎とはいえ、これは人智を超えた辛さというか、肉体の許容量を遥かに超えている。タイ産の青唐辛子というのは、通常小さな一本噛んだだけでも口から火が出るわけで、その火傷症状は1時間は続く。その千倍が、何を意味するかは今更説明するまでもなかろう。

そんなことも知らず、厚顔無恥なペテン師・国税庁二郎は「大ダブル」が出されるやいなや一気にがっついた。下半身垂れ流しのまま。

 

 

「はい、お兄さんどうしますか」

ようやくぼくの出番がやってきた。

「野菜ニンニクましまし、濃いめ」

白い歯を見せながら、マスターは分厚いチャーシュの上にモンスター級のトッピングをのせてくれた。まるで富士山だ!麺も、もやしも、にんにくもすべてコボレそうなくらいの増しまし。

 

ぱくっ。

 

熱い「小ブタ」を頬張る。最初の一口。とろける旨さ。ぼくは隣の男が失禁していることも忘れ、ただただ夢中にラーメンを頬張った。

 

 

食べている間、次の会話が交わされた。

国交省吾「障害者マシマシ604名」。

総務省吾「障害者マシマシ70名」。

財務省五郎「障害者マシマシ170名」。

法務省子「障害者マシマシ540名」。

経産省太郎「障害者マシマシ101名」。

防衛省二「障害者マシマシ315名」。

内閣府子「障害者マシマシ27名」。

農水省吾「障害者マシマシ169名」。

気象庁美「障害者マシマシ57名」。

 

 

この日、ラーメン二郎三田店は創業以来初めてタイ産のペキヌン3460本分を使い切った。

つまり、それだけの障害者雇用が水増しされていたことが判明したのである。この唾棄すべき事態に、マスターは閉店後に食器を水洗いしながら本音を吐き捨てた。何を隠そう、ぼくは食べるのが極端に遅いので店じまいしてからも一人居残り食っていたのである。

「あのさ、障害者雇用促進法は一般企業に対しては、国の法定雇用率2.5%をちょっとでも下回ると不足数一人あたり50,000円の罰金が課されることになっている」

「ご、ごまんえんっすか?」

完食まであとちょっとだ。ラード、いやスープをぐいっと飲む。ああ、これ毎日やると身体に悪そう。

「そうだ。べらぼうに高い。にもかかわらず、国税庁二郎や法務省子、さらには地方自治体らがみな平気で雇用している障害者数をマシマシしやがった。ペテン師もいいところだ」

満腹のお腹に、最後のひと押し。それでも食えるから不思議だ。

「にもかかわらず、だ。信じがたいことにアイツらが不正を行ってもまったく罰金がない。不公平もいいところじゃねえか!」

ガシャン!パリン!マスターが洗剤できゅっきゅ擦っていた小グラスが、そのブルブル震える怒りを反映するかのように粉々に割れた。

 

その晩、防衛省二や外務省吾らはみな塗炭の苦しみに悶えていた。

 

お腹が次第に炎上し始めたのである。まるで胃腸が100均のナイフで切り刻まれていくような痛みだ。

しかも、恐るべきことにその「青唐辛子の呪い」は、食べた人の職場の連中全員にも確実に「シェア」されるよう、CIAとMi6は今年はじめ遺伝子組み換えすることに成功したのであった。そしてラーメン二郎本店が輸入したのも、まさにその最強型なのだった。

 

目には目を、歯には歯を。

 

翌朝、内閣府を含む27の中央省庁の職員が全員、A級の下痢でトイレから離れられないことが判明。国家機能が麻痺する緊急事態に陥った。しかもマシマシ詐欺を働いた度合いが高い省庁ほど、事態は深刻だった。国税庁二郎およびその同僚たちにいたっては、結局一年間出勤出来ず、全員が依願退職する羽目になったのである。

 

内閣も、役人もたるんでいる。

ただ、そんなペテン師たちに天罰を下したのが、まさか日本一美味しいラーメン屋だったことは、未だに下町の三毛猫さえ知らない。

 

 

おわり

 

 

この物語は、フィクションです。登場人物、状況設定はすべて架空のものです

 

オランダ人の私の姪は、日本軍の抑留所で生まれました【Japan Interview】谷山雄二朗

Japan Interview!

2日後に終戦日を迎えるなか、アムステルダムからの旅人インタヴューをお届けします。

 

広島を訪れたというミセス・ホランドは、意外な告白をしてくれました。

「原爆ドームでふとおもったことですか。旧オランダ領東インドで、わたしの家族は自由だったのかを考えました」(4分45秒)

赤坂見附の昼下がり、突然の発言にぼくは言葉を失いました。

「どういうことですか?」

「はい。わたしの家族は、オランダ人とジャワ人の混血だったので日本軍の抑留所に入れられたのです」(5分09秒)

「そのお話は、誰からお聞きになったのですか」

「おばあちゃん、叔母から聞きました。わたしの姪っ子は、その抑留所のなかで生まれたんです」(5分20秒)

 

1942年から1945年8月15日の敗戦まで、旧オランダ領東インドは日本の統治下にあったのは周知の事実だ。彼女は続ける。

 

「姪は、終戦時まだ四歳でした。彼女は、女性だけの抑留所に四年間いました。その後彼女は、父親と再会しましたが会いたくなかったようです。というのも、それまで彼女が接していたのは日本人の男性(日本兵)だけで、彼らは姪に対し厳しく接した。それで男性不信に陥ったようです」(5分28秒)

 

「厳しく、というのはどう厳しかったのでしょうか?われわれ日本人は、歴史から学び取る必要があります」

「はい」

「たとえば、ムチを使ったとか?」

「YES」

真偽はもちろん確かめようがないが、当時日本軍内(国内)に蔓延していた男尊女卑の思想、上官は絶対の軍の規律などから考えれば、混血児を手厚く扱ったとは到底考えられない。少なくとも、ぼくはミス・ホランドの言葉を信じた。

「だから姪にとって、その後も日本軍抑留所の経験はトラウマとして残ったのです」(6分3秒)

 

ぼくは朝日新聞社の特派員ではないが、それは3ミリグラムの想像力さえあれば、十分に考えられることだ。

 

「わたしの母、そしておばあちゃんはもう亡くなりました。先日、初めて訪日し広島にも行きましたが、果たして今、わたしがこうした日本にいることを天国の母たちが喜んでいるかはわかりません」(6分20秒)

一瞬、返す言葉を失ったがぼくは言った。

 

「その七十年前の歴史から、我々は学ばねばなりません」

「まったく同感ですね。よって広島の原爆ドームを訪れたとき、わたしは母たちの苦しみを感じるとともに、突然頭上から原子爆弾を浴びた人びとの苦しみをも感じました。あの時、誰もが非道だったのだとおもいます」(6分40秒)

「戦争は、人間を動物にします。残虐なアニマルに」

「ええ。なので今、なんとも違和感というのか不思議な気持ちで日本を旅しています」

 

 

訪日観光客三千万人。

 

様々なバックグラウンドをみな、各自が抱えている。

 

ミセス・ホランドとは、シリアスな話もしたが同時に日光や、パチンコ、カジノそして温泉の話などでも盛り上がった。ちなみに、オランダには各都市にカジノがあるとか。

ここからまた、新しいジャパーンが見えてくる。

Japan Interview!

 

 

サッカーW杯 ベルギー敗戦と、中国の意外な関係 – 谷山雄二朗

 

 

中国という名の真っ赤な津波

 

今、中国中心のアジアが迅速にかつ確実に構築されつつある。

ぼくが穿いているUNIQLOパンツも、中国製だ。iPhoneもスマートフォンも中国製。Appleの見苦しいところは、その製品の目立たないところに苦し紛れに “Designed in California, Assembled in China” と、なるべく”Made in China”とのイメージを払拭しようとしていること。

中国製であることは、厳然たる事実なのに。ある意味で、見苦しい詭弁だね。

“Made in USA”と堂々と表示したいなら、トランプ米国大統領の言う通り国内ですべて作ればいいのに出来ない。

中国で作るほうが、断然安く採算が取れるから。

 

では、日本はどうか。

$3200億ドル(2017)を突破した日中貿易総額。だいぶ前からチャイナは、わが国の最大の貿易パートナーである。なんせ15億人というパイがある。その市場規模に、アングロサクソンから日本人までみなへつらい、三跪九叩頭している。

赤い津波が、BLOODY=血なまぐさい ことなどそっちのけ。

ハリウッドにいたっては、今や常にチャイナマネーに依存している。そして15億人への配給権を得るために、台湾やチベットなどをコンテンツに絡めぬようあろうことか自主検閲までホイホイ行っている。

さすがはユダヤ資本だけある。抜け目がない。

 

ブラッディーといえば、中国はそれらチベット、ウイグル、モンゴルの人びとの人権を奪い、漢民族に同化させんと”Cultural Genocide”すなわち文化的虐殺を1949年の中華人民共和国誕生以来、継続中だ。さらには、南シナ海を武力で飲み込み、東シナ海では日中中間線を一方的に無視して天然ガスを掘削している。

しかも言論の自由をも禁止する、じつにBLOODYかつ異質で老獪な国が今やアジアの盟主になりつつある。

ダライ・ラマ法王は、自著「FREEDOM IN EXILE」(文春文庫)のなかで、こう述べている。

「中国は脅しで人びとの心を変えることができるという思想に貫かれていたのだ。これは誤った考え方だが、これまでの中国指導者との体験からして、どこか信用ならないものを感じさせた。彼らは嘘をつくだけでなく、もっと悪いことに嘘がばれても全然恥ずかしいとすら思わないのである」 (P.189, 351)

恐ろしいことだ。

確かに、尖閣諸島の領有権一つとってもCCP(中国共産党)は、平気で嘘をついている。彼らのオオカミ少年ぶりは、このJBページを見れば一目瞭然なのでぜひ近代史を勉強しておこう。

今日の日本人は、歴史、それも特に近代史が知らなすぎる。だからぜひ。

そしてここで極めて重要なことは、この非健康的かつ有害な「赤い津波」に唯一対等に対峙できるアジアの国は、JAPAN しかないということに他ならない。

中国産のパンツをこよなく愛するぼくが言うんだから、間違いない。

今年は「日中平和友好条約」締結四十周年である。

1978年にサインされたというのだから、日本がまだサッカーW杯に出場さえ出来なかった頃の話だ。

「仲良くなろう!」「ぼくら友達」「日中友好!」

こうした言葉に、お人好しのわが民族はすこぶる弱い。コロッと騙される。1982年には文科省は「近隣諸国条項」とかいう、中国と韓国にへつらう実に不可解なルールをしかも勝手に、自分から設けてしまった。この「近隣諸国との友好を守るために教科書の書き方を配慮する」とかいう所謂自主規制は、愚の骨頂そのものであり、今日にいたるわけだ。

 

ところが、だ。

“Being a friend”(友達になる)と、”like a friend”(友達みたい)の意味はまったく異なる。

 

この厳然たる事実さえ知らぬ政治家が、JAPANをこれまで弱くしてきた。

BLOODYな国なのだ、チャイナは。

イメージとしては、あの美味しいカクテル「ブラッディ・マリー」。ドロドロの血液ジュース、ぼくもこよなく愛する。ただ、1989年の天安門事件ではCCPは一般市民を戦車で粗大ごみのように轢いて虐殺したことは、周知の事実。

それが現実。

 

でありながら21世紀をいきる我々日本人は、「チャイナのアジア」が盤石になるのを、そのまま指を加えて傍観していていいのだろうか?

チャイナ中心のアジア。「チャイナジア」。CHINASIA.

日本も台湾もヴェトナムもマレーシアも、すべてチベットの二の舞になっても構わない、というのであれば話は別だが。

世界最速の高齢化社会。四人に一人は、六十五歳の高齢者。超高齢化社会における医療費介護費の急激な負担増。1990年代前半は、毎年120万人ほどいた赤ん坊は、今では96万人。認知症で行方不明のグランパたち、森友学園問題で明るみになった汚物ならぬ汚職まみれの政治家と官僚たち。国内の労働力不足で、移民なしではもはや回らない7Eleven.

これはすなわち、日本経済そのものに移民が不可欠であることを意味している。にもかかわらず、与党自民党は「移民は受け入れない。労働者は2025年までに50万人受け入れるが五年後には帰ってもらう」などと、都合のいい国内向けのプロパガンダで国民を騙そうとしている。

そして劣化した国民も、その耳障りのいい言葉に喜んで騙される。欺瞞の構図。

 

 

つまり、難題が山積するJAPANなのだ。

しかしアメリカ合衆国大統領ドナルドダックならぬトランプは、先日ヨーロッパのNATOこと大西洋条約機構の会合で、「ヨーロッパの国々は、もっと軍事費を捻出しろ。GDP比率2%という目標に達していない国々だらけだ。米国は火の車なので、チミらをこのままじゃロシアから守ってあげられんよ」と”同盟国ら”を突っぱねた。

まったく驚きでもなんでもない。もともと “AMERICA FIRST!” で当選した同氏なのだから。

そしてこのトランプの言動は、わが国にも当然当てはまる。

JAPANも、防衛費を2%に上げねばならない。

医療介護年金費負担が今後、ますます増大するのは目に見えている。台所は火の車、アメリカ同様。とはいえ、最大のフォーカルポイントは、このまま「チャイナジア」の台頭を許していいのかというただただ一点に尽きる。

南シナ海は、6つか7つの(メディアによって諸説ある)埋め立て人工島を軍事基地に作り変えてしまった「真っ赤な津波」により、すでに壊滅状態だ。

次は、それが台湾を襲う。さらに与那国島、尖閣はもちろん石垣島そして沖縄本島へと忍び寄る。東シナ海はすでに、このBLOGのアイキャッチ画像のように真っ赤だと考えていい。「OKINAWAには米軍がいるから大丈夫!」などと夢物語を語っている諸君、目を冷ましたまえ。

NY, LA、ワシントンDCに容易に届く核攻撃を示唆されたホワイトハウスが、「いざ」という時に自国から一万キロほど離れている尖閣や那覇空港や普天間基地を守るために真っ赤な津波ならぬ米兵の血を流すとは、到底考えられない。

少なくとも、ぼくはそう考える者だ。

 

つまり、だ。前置きが長くなってしまったが、結論にいこう。

 

JAPANは、ソフト・パワーのみならずハード・パワーとしても “SUPERPOWER”=大国にならねばならない、ということだ。憲法9条の改正は言うまでもなく軍事力を大幅に増強し、日本海が、瀬戸内海が、西郷どんがいた奄美大島が、そして太平洋が真っ赤な津波に飲まれぬよう備えねばならないのではないか。

いや、繰り返すが読者のあなたが「べつに日本が第二のチベットになってもいいけど」というのなら話は別だが。ただ、そうなった場合、あなたの孫かひ孫の代には東京都立青南小学校で教えられる「母国語」は、ニーハオになる可能性もあるということだ。

北朝鮮のデブ公までもが、核兵器のおもちゃを持っていることも忘れてはならない。

戦後のJAPANは、盲目的な対米従属・追従一辺倒できた。トランプの出現は、ある意味で神風みたいなもので、その旧式の思考回路から脱却するチャンスだとぼくは考える者である。そしてアメリカの植民地という立場から、独立国に生まれ変わる気概が求められている。

国産の次世代ステルス戦闘機も、実現すべきだ。たとえコストが急騰し他国と連携することになろうと、核となる「ブラックボックス」は日本が作る。その覚悟が欲しい。

外国人労働者うんぬん言う前に、130もの外国の基地がある国などその実態は占領下にあることを、なぜ日本人は分からないのだろうか。巨大化したカリフォルニア州を、3つに分割するとの案が今、米国ででているがそれが実現すれば同国は現在の50州から52州に増える。

真っ赤な津波に、飲まれるのか。

それとも、アメリカ合衆国の53番目の州に甘んじるのか。

いずれの道になろうとも、自分で自国を守れない民族はその運命を他国に委ねることになるということだ。

そして肝心の時には、必ず勝ちきれない。

先のサッカー・ワールドカップのベルギー戦のように。覆水盆に返らずとはいえ、2-2になった段階で延長に持ち込む戦術をとっていれば、勝てたかもしれない。少なくともPKまでは、持ち込めただろう。それでも、西野朗監督は三点目を取りに行ったという。もちろん単純比較できるわけではないし、サッカー日本代表を攻めるつもりなど毛頭ないが、あの結末は結局 TEAM JAPANが「自分たちの本当の実力を知らなかった」ために起きたことではないだろうか。底力ではベルギーが一枚も二枚も上手だったことは、最初からわかっていた。なにせ世界ランキング3位だ。

とはいえ、2-0というビッグリードをしていたのだ。

それを延長戦にまでさえ持ち込めない。今大会、彼らを熱烈に応援してきた者として、あのエンディングは青天の霹靂であった。確かにプレーヤーたちは頑張った。感謝したい。とはいえ千載一遇のチャンスを取りこぼしてしまったのも事実だ。西野氏は「あのカウンターはまったく想定外だった」と試合後言ったが、そこに究極の落とし穴がないだろうか。素人目でみても、最後の20分ほどはベルギーが攻勢をかけまくり逆に日本選手の足は止まりかけていた。にもかかわらず、西野氏は選手交代のカードをなかなか切らなかった。BBCかどの欧米メディアか忘れたが、「2-0からありえない負け方を日本はした!」と某コメンテーターが揶揄する記事が、今も脳裏に焼き付いている。

まあ、あれが日本の実力だったといえばそれまでだし、また終わってしまったことを嘆いてもしょうがないが、じつに悔やまれる一戦だったことだけは確かだ。それは当の西野監督や香川真司たちが一番良く知っているのではないか。

ただ、いうなればあれが所詮はサッカーだったからまだ良かった。

 

ベルギー代表は、別名 “Red Devils” という。赤い悪魔だ。

中国が、真っ赤な津波であることを考えると、不気味なほどシンクロナイズしていないか。よってぼくは、あの衝撃的な2-3の敗戦が、近い未来のJAPANとCHINAの軍事衝突の結末を暗示している気がしてならない。

サッカーならば負けて終わりだが、それが戦争となると完全な国家解体となる。その時、いくら周章狼狽しても打つ手はない。考えられないかもしれないが、今の在日米軍基地が、在日中国軍基地になる。

西野朗監督が、TEAM JAPANの実際の力をあの時見誤ったように、我々日本人も、NATION JAPANの実際の軍事力を知らない。自衛隊員数が、郵便局員数よりも少ないことも学んでいない。だから、ベルギー戦のように実際は相当劣勢であるにもかかわらず、三点目を取りにいってしまう。

「いざ鎌倉」になった時、どう戦えばいいのかもわからない。その結果はご存知の通りだ。それが今のJAPANの、日本人の実態だ。

この恐るべき状況を、我々はこのまま放置していていいのだろうか。

真っ赤な津波の季節。

それは、チャイナ中心のアジアにすべての国がひれ伏すということだ。

果たしてそれであなたはいいのですか? 物質的発展に傾斜するあまり、なにか大切な忘れ物をしていないだろうか?

 

先にご紹介した本からダライ・ラマ法王の言葉で本稿を締めくくりたい。

「中国は、数え切れぬ虐殺によって、彼らが基本的人権を徹底的に無視していることを証明した。彼らの赤旗を見て抱いた非常な不安感を克服した後(元来赤は危険に対する自然の警戒色なのだ)」

 

青い海ならぬ真っ赤な海は、もうすぐそこまできている。

 

 

Thank you.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロンビア戦と同じく先制点さえ取れば、日本はベルギーにも勝てる | 谷山雄二朗 BLOG

チョコレートは、溶けるものだ。

ということは即ち、ベルギー・チョコが特産品のサッカー・ベルギー代表も「トケル」。そう、アキレス腱があるということ。

ぼくはサッカーでは、六本木の防衛庁跡地に本社があるKonamiの傑作「ウイニング・イレヴン」のチーム監督兼選手しか務めたことがないが、そのど素人感覚から見る限り「先制点」がわが日本代表の次戦の勝敗の分岐点になると考える。

つまり、INUIかOSACOかダブルSHIN-G (香川か岡崎のシンジ)が先制点さえ挙げてくれれば、世界3位だろうが300位だろうが知らないがベルギーはパニックに陥り空中分解すると読む。FIFAランキングなど屁もクソもない。現に、ランキング「世界1位」というドイツが、同57位の韓国に屈したではないか。

しかもあろうことに、孫正義ならぬソン・フンミン率いる同国は、なんとアジア最終予選では中国とカタールにさえ負けている。あの小太り習近平さんも嘆く劇弱チャイナに、だOMG。いくらドイツが韓国を舐めまくっていたとはいえ、勝利は勝利だ。

つまり、世界61位だというアジアの盟主Japanが、同3位のチョコの国に勝つのだって屁の河童。どうったことない。

先制点さえ取れれば。

そう、コロンビア戦と同じく日本はゲーム開始早々から積極的に先制攻撃を仕掛けねばならない。ハングリー精神剥き出しで、飢えた野良犬の如く優等生ベルギーに襲いかかるのだ。攻めて攻めて攻めまくる。底力では若干劣る”Lucky Japan” (今大会、日本はかなりツイテイルので、勝手にそう呼んでいる)かもしれないが、日本時間7月3日の試合は何が何でも先制点が必要だ。

逆に、それを取られたら勝てない。少なくとも、ぼくはそう考える。

先制点さえ取れば、仮に追いつかれたとしてもPK戦に持ち込める可能性も十分にある。となれば、運が左右する。ならば大丈夫だ。

INUIよ、「犬」い、たれ。そうだ、狂犬に。

余談だが58年前の今日、金剛ならぬアフリカのコンゴ共和国が独立を果たした。何を隠そう1960年6月30日に旧宗主国ベルギーから自由を奪い取ったのだ。1879年に植民地になったCONGOだが、独立後の同国に生まれた名選手こそ Roger Lukaku. 現ベルギー代表のモンスター・ストライカーことルカク選手のパパだ。

そもそも、ベルギー代表で「ルカク」などという名前は西洋人ではありえない。

奴隷ないしは畜生同然の扱いを受けていた原住民(当時のヨーロッパ人は、勝手に地図に線を引いてアフリカを分割した)の子孫こそ、現 Manchester Unitedが誇るロメル・ルカク。即ちフランス代表(半分はアフリカ系)やイギリス代表同様、サッカーワールドカップのベルギー代表も、アフリカ大陸の旧植民地の流れをくむ「人材」をフルに活用している意味で、本当の「フル代表」といえる。

つまり極端な言い方をすれば、わが国が明々後日戦う相手は「ベルギー&コンゴ共和国」代表というハイブリッドチームだということに他ならない。

強くて当然である。

ズルいといえば確かに狡いが、ベルギーの歴史・成り立ちが旧植民地からの移民を受け入れてきたものである以上、致し方ない。かつて日本代表にも、李忠成という朝鮮の血を引く名ストライカーがいた。

サッカーワールドカップとは、国家が刻んできた歴史を反映する鏡そのものなのだ。

勝とう日本!

ベルギー・チョコは、必ず溶ける。所詮は過大評価された小さな板チョコレートだと思って、怯まず戦い先取点をもぎ取ろう。

ポーランド戦の最後の10分間は、見事な戦いぶりだった。いい人すぎるお人好し日本人が、世界の舞台でずる賢く計算高くしかも「ルールに則って」勝利を掴んだことには、大きな価値がある。長谷部誠も吉田麻也もまるで中国人のように見えたが(ただ、本物のチャイニーズは、南シナ海一つとっても分かる通り国際法もルールも平気で破る)、日本人もこれからはしたたかに生まれ変わる必要がある。

でなければ、それこそ独裁中国にハットトリックを決められてしまうぞ。

FIFA World Cup. それは四年に一回のビッグチャンス。

マキアヴェリストに徹しなければならない。この地球最大のお祭りは、血の流れない戦争なのだから。惜しくも3位に甘んじたセネガルの諸君も、11億円も獲得したのだからホクホクに違いないと勘ぐるのは果たして浅はかだろうか。

先制攻撃、先制点。

くどいようだが、それがすべてだ。

日の丸の “Lucky Japan”、頼んだぞ!

Thank you.

最新刊! 童話「デブとファットマン」2匹の家畜の物語 | 谷山雄二朗著

Japan Broadcasting Books ニュース!

みなさま、お待たせしました。

待望の童話「デブとファットマン」が、満を持して弊社から出版されました! 谷山雄二朗ワールドを、思う存分お楽しみください。

なお、英語版と日本語版は、編集部の意向もありそれぞれエンディングが異なっている点も注目です。そうです、なんとダブルでお楽しみいただけるのです!

童話でありながら、ユーモア小説でもある。楽しみながら英語をマスターする一冊としても、フル回転間違いなし。

それでは、みなさん、「ファットランド」でお会いしましょう!

以上、最新刊の痛快ご案内でした!

谷山雄二朗のちちんぷいぷい 「痛いの痛いの飛んでゆけ」 Powered by Japan Broadcasting

春一番!Happy New Spring!

お元気ですか。

今日のTOKYOは唐突な雪ですが、唐突ながら季節の変わり目となる本日春分の日、本JB社説のタイトルを「谷山雄二朗のちちんぷいぷい – 痛いの痛いの飛んでゆけ」に心機一転リニューアルしました!

情けないことに、これまでこのポンポコリンな響きのする昔の言葉を最近まで知りませんでした。たまたま古本屋で手にした一冊を通じて知ったのです。

ぼくが小学一年生の頃、犬に噛まれたり汚い公衆便所の和式トイレで足を踏み外して大転倒・号泣すると、近所のおばちゃんがすっ飛んできて「痛いの痛いの飛んでゆけ〜!」と、何度も何度も摩ってくれた記憶があります。

ただ、その前にこの「ちちんぷいぷい」なる面白い言葉があることは、不覚にも今月知りました。

ちなみに来年は新元号になりますが、それこそ「ちちんぷいぷい – 痛いの痛いの飛んでゆけ!」が生活に溶け込んでいたあの頃 – 昭和五十年代頃の「和」というのか、人間的な温もりそして繋がりは今となっては ‘神がかっている’ と形容できるほど確かなものでした。「知らない人にはついていっちゃダメよ」は、今も昔も同じでしょうが、それでも登校する時は「おはようございます!」と知らないおじさんに幾らでもしたし、老若男女・人間同士がお互いを信頼する社会的雰囲気が確かにあったのです。

「人さらいにさらわれるぞ」(これもまた死語?)と脅す大人もあちこちにいたと思いますが、例えば今からちょうど一年前、千葉の松戸でヴェトナム人の小3のリンちゃんが渋谷某とかいう人間のクズ(しかも’PTA会長’)に、誘拐され虐げられた上に河川敷に捨てられる – といった変態鬼畜による悲劇は、今日のように頻発していなかった。

「口先オンナ」に気をつけるように、とも先生に言われましたが今のMONSTER PARENTS なる我が子に異常に執着し依存していきる鬼過保護な化け物連中もいませんでした。少なくとも、ぼくがオーストラリアに引っ越す8歳のときはいなかった。

つまりデジタル化が加速するに連れて、現代人は確実に劣化している気がしてならないのです。確かに、スマートフォンや、PASMOなどAIによって世の中かなり便利にはなった。とはいえ、個人と個人の距離は確実に狭まるどころかその真逆となった。ファミリーレストランに行っても、4人家族がそれぞれ「おもちゃ」を片手にうつむきながら画面をじーっとみている光景は、明らかに異常ではないですか。ええ、だって会話がほぼまったくないのですから。

かりに今の小学生が、下校中に観光バスほどの巨大な猫に襲われ足首をひねったとしましょう。

ちちんぷいぷい!痛いの痛いの飛んでゆけ〜!」とすぐさま駆け付けて、摩ってくれるおばちゃんが果たして今のジャパーンにいるでしょうか?警察に110番ぐらいはしてくれても、ちちんぷいぷいまでは考えにくい。だいいちそれどころか、我々は銀座線で目の前の高齢者のスーツケースがひっくり返っても見て見ぬ振りする日本人が圧倒的に多い時代にいきている。

ぼくは何も聖人でもお釈迦様でもありませんが(星人の可能性はあるが)、それでも本来でしゃばりなので目と鼻の先で痴漢野郎やモンスター猫に攻撃された人がいたら、大丈夫っすか?とまず駆け寄ります。少なくともうるさい日本人としても「見て見ぬ振り」だけはしないし、できない。

ちょっと長くなってしまいました。

ともあれ、結論にいこう。

今年は明治維新150周年。幕末に、そして昭和のどこかに我々日本人が置き忘れてきた何かアナログなものがある気がする。そして、それを取り戻すためにも、本コンテンツ(社説、ブログ、エッセイ)のタイトルをチェンジしたのです!

そしてもちろん、読者のみなさんが心の怪我をした時は、ちちんぷいぷい 痛いの痛いの飛んでゆけ!

Thank you.

谷山ぷいぷい雄二朗