渡辺泰子さんを悼む 「東電OL殺人事件から22年」

Yujiro Taniyama, JB Editor in Chief

22年前の今日、一人の日本人が命を落とした。

彼女は、女性の社会進出がまだ夢物語にすぎなかった1980年に、総合職で東京電力に入社した「ウーマンズ・パイオニア」であった。

きのう、偶然とある古本屋で手にした「東電OL殺人事件」・佐野眞一著(新潮社)。食い入るように、一気に読んだ。そして、これまた奇遇なことに、最後の一ページを読み終えた深夜、その日付が被害者の命日であることを知った。ある種の鳥肌が立ったが、同時にこの不思議なめぐり合わせは、39才で命を落とした女性からのなんらかのメッセージであるようにも感じた。

目から鱗が落ちる、というのか、本を読み終えて著者佐野氏の行動力、そしてTRUTHを追求する姿勢に激しく胸を揺さぶられたことを、まず述べておこう。

『東京・渋谷のアパートで今年三月、杉並区永福三丁目、東京電力社員渡辺泰子さん(39)が首を絞められて殺されているのが見つかった事件で、警視庁渋谷署の捜査本部は二十日午後、現場アパート隣のマンションに住んでいたネパール国籍の元飲食店従業員ゴビンダ・プラサド・マイナリ容疑者(30)を強盗殺人の疑いで逮捕した。

マイナリ容疑者は事件直後に入管難民法違反容疑で逮捕、基礎され、東京地裁で二十日、懲役一年、執行猶予三年の有罪判決を受けた。マイナリ容疑者は、容疑を否認しているという』(朝日新聞 1997年5月21日 朝刊)

いわゆる、当時社会を震撼させた「東電OL殺人事件」だ。

今日からちょうど22年前、1997年3月8日の深夜11時30分頃に、被害者は「何者か」に殺害された。というのも、計30回、3年にも及ぶ裁判を経た2000年4月14日、東京地裁第四二五号法廷で大渕敏和裁判長はこう判決を下したからだ。

「被告人ゴビンダ・プラサド・マイナリは無罪」

すべての裁判を傍聴し、ゴビンダ被告のネパールの実家に飛び、「これは冤罪の可能性が大きい」と直感したジャーナリストの佐野は、そもそも検察が決定的な証拠が一つもないにもかかわらず最初から「犯罪者は出稼ぎネパール人のゴビンダ」、との”フェイクニュース” をもとに進められる茶番裁判に、疑問符を抱き続けたのだった。

TRUTHが勝利した、瞬間だった。

しかしながら、恐るべきことにそのわずか半年後、12月22日の控訴審で高木俊夫なる裁判長は、決定的証拠がないにもかかわらず逆転有罪・無期懲役を言い渡したのである。結果的に、ゴビンダ氏は2012年半ばまで横浜刑務所にぶち込まれ続けたのだ。おおよそ15年もの間、ろくに言葉も話せない「日のいづる国」で不当に犯罪者にされ、自由をもぎ取られた同氏の塗炭の苦しみは、想像に難くない。

泰子先輩

「東電OL殺人事件」を読み、神泉駅の踏切を渡って徒歩20秒の右側の二階建ての木造アパートの101号室で視察された女性が、慶應大学経済学部の大山道弘ゼミ(当時は助教授)で学んだことを知った。ここでもまた、偶然がおきた。ぼくが大学一年生の時に、慶応の日吉キャンパスで経済原論を学んだのも大山先生(すでに教授になっていたが)だったのである。

被害者の渡辺泰子氏が、それまでの「あの東電OL事件の”売春婦”」から、急に身近な存在に感じられたことは、言うまでもない。よって22回忌の今日、本稿では彼女のことを愛を込めて「泰子先輩」と呼ばせて頂くことにする。

朝9時から夕方5時すぎまでは、新橋に本社がある一流企業のキャリアウーマン。そして、その後は渋谷ラヴホテル街円山町に移動し、深夜0時台の井の頭線最終電車に乗るまでストリート娼婦。それが泰子先輩の、意外すぎるバブリーな「サラリーマン生活」であった。毎日、平均で四人の客をとったという。

佐野氏は、その著書のなかで彼女のことを「巫女」という表現を用いて形容している。まるで宮沢賢治のごとく雨の日も、嵐の日も、泰子先輩は数年もの間、渋谷駅ハチ公前から109を右折し、円山町へ歩き「立ちんぼ」として活動した。そのとてつもないエナジーが、いったいどこからでていたのかは、推測の域をでまい。

ただ、「東電OL」を読んでみて痛感したことがある。

それは、わが国の警察の傲慢さ、そして司法の杜撰さだ。

特に、渋谷警察署のそれは犯罪レヴェルといってもいいんじゃないか。

1997年10月24日、真実を探るために容疑者の故郷であるネパールに飛んだ佐野氏は、泰子先輩の殺害当時、ゴビンダと同居していた四人のうちの一人、ナレンドラ青年から次の証言を現地で引き出している。極めて暴力的な対応を、渋谷警察で受けたと言う同青年は、日本の警察に対していいたいことをおっしゃってください、との問いに対しこう答えた。

「コート(法廷)に行くとき、警察は私たちのやったことを絶対にコートでは言わないで、そしたらお金いくらでもあげる、日本にまた来ることもできるようにしてあげる、だからコートには絶対にいわないで、といいました。私、日本も日本人も大好きです。でも警察だけは違います」(P.128)

また、もう一人の同居人だったラシュ・タパ氏はこう述べている。(以下、佐野氏とのやりとり)

Q: これほど明瞭なアリバイ(殺害時刻に、ゴビンダはラシュと一緒にいた)があるにもかかわらず、裁判ではそのことが一言もでてきません。なぜだと思いますか。

「私は警察にちゃんといいました」

いった?すると警察は、裁判では絶対にそれをいうな、といったわけですか。

「ええ、そうです。警察はそれをいうな、といいました」

あなたが、ネパールに強制送還させられたのは、あなたを裁判に出したくなかったからだとおもわれますか。つまりあなたが裁判にでると、今いった事実をしゃべりますね。そうすると、ゴビンダさんは泰子さんを殺したことにならなくなるでしょう。

「はい」

だから日本の警察は、ラメシュさんを早く日本から出て行けというふうにしたんだと思いますか。

「はい」

もう少し質問させてください。警察は取り調べ中に、あなたを殴ったりしましたか。

「警察は『早くしゃべれ、そうすればすぐ帰れる』といいました」

渋谷署ですね。「ええ、そうです」

警察はあなたの髪の毛をつかんだりしましたか。

「それはあります」

足で蹴られたことはありますか。

「それもあります」

警察官の名前をおぼえていますか。

「知ってます。イグチです」

(P.147-148)

そして、もう一人の同居人、リラはカトマンズ空港そばで行われたインタビューでこう明確に言い切っている。

「それからお腹も殴られました」

手で殴られたんですか。

「そう」

それは相当に痛かったですか。

「はい、痛かったです」

要するに、ふざけ半分でやったのではなく、相手は本気で力を出したんですね。なぐられるとウーンと唸ってしまうぐらい?

「そうです。痛くて痛くて。私はその日、飯田橋の警察病院に連れていかれて、そこで薬をもらいました」

東京警察病院診察券を、リラ氏はそこで佐野氏に証拠としてみせる。

殴られたあとのコブとかあざはありませんか。

「それはありません。警察はお腹を殴りましたから」

なるほど、外からはみえない部分をねらったわけですね。病院はどのくらい行きましたか。

「1ヶ月くらいです。週に一回くらいの割合で薬をもらいにいきました」

(P.159 -160)

これらの証言だけでも衝撃的だが、驚くのはまだまだ早い。国家権力なる仮面の鎧をきた渋谷ポリスのビールっ腹の連中は、上記の犯罪的拷問の後、当時不法滞在していたリラ氏に、なんと神田駅徒歩1分のサラ金会社での就職を斡旋したのである。給料は、合計で三十万。

Q. 警察はあなたが不法就労者だということを承知の上で、つまりビザがとっくにきれているのを承知の上で、しゅうしょくを斡旋したんですね。

「はい、そうです」

そのときあなたはどこに住んでいたんですか。

「けいさつにもうネパール人の友達に会っちゃいけないといわれて、湯島のマンションに住んでいました」

そのマンションも警察の紹介ですか。

「そうです」

読者もご存知のとおり、入管法改正により来月から単純労働がメインの外国人労働者が一気に、「正式に」入国してくる。政府は今後5年間で34万人と発表しているが、去年6月の時点では50万人と言っていたところをみても、その数字はまったく当てにならない。そして、それ以上にあてにならないのは、我が国のこれまでの外人政策・移民政策がいかに偽善および欺瞞に満ちた御都合主義のそれだったということに他ならない。コンビニエンスストアの使い捨ておでん容器の如く、日本企業も警察も自分たちが利用したいときだけ外人を利用し、不利益になればすぐに強制送還という唾棄すべき実態がここにある。「東電OL」こと、泰子先輩が殺害された頃から今日にいたるまで、この恐るべき差別的な日本人の言動は何も変わってないのではないか。地方でチープな労働力として搾取され、「行方不明」になっているヴェトナム人が後を絶たない現状、その理由の一端が日本人側にもあると考えざるを得ないし、果たしてそれが看過されていいはずもない。

多様性のない社会は、脆い。

前の戦争の時もそうであったように、右にぶれるといっきにふれてしまう。さまざまな価値観がぶつかり合うことによってのみ、日本はより素晴らしいく国になるのだ。

2019年現在、渡辺泰子を殺害した真犯人は、未だに捕まっていない。殺人鬼はイラン人との説、または日本のヤクザの仕業の可能性も指摘されているという。これでは、被害者は到底浮かばれまい。また、この「バブリーな堕落」として語られることが多かったこの東電OL事件の後に生まれた読者のために、泰子先輩の簡単なプロフィールを紹介しておこう。

裁判の冒頭陳述における、彼女の身上経歴は次のようなものである。

『渡辺泰子は東京電力に勤務していた達夫の長女として、1957年6月7日に生まれた。一家は泰子が中学一年のときに杉並区永福に転居した。地元の中学校を経て慶応女子校から慶應大学経済学部に進んだ泰子は、1980年3月、同校を卒業後、父と同じ東京電力に入社した。ちなみに父は泰子が東電に入社する三年前の大学在学中に、五十代の若さでガン死している。

同社では企画部調査課に所属し、一時、別会社に出向していたこともあったが、1993年7月には、企画部経済調査室副長に昇進した。同室は、電力事業に対する経済の影響を研究する部署であり、泰子はそのなかで、国の財政や税制およびその運用などが電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、月に一、二本の報告書を作成していた。そのレポートは高い評価を得ていた。泰子は上司や同僚と飲酒することもなく、社内での私的な交際もほとんどなかった。

28歳の頃、拒食症に陥り入院したことがあったが、その後の1989年(平成元年)、クラブホステスのアルバイトを始め、数年前から渋谷界隈で売春をするようになった」

日蓮聖人、泰子聖人

泰子は、父親の達雄に幼少時から溺愛されていたという。そして、また、彼女もそんな父を「崇拝」していた。完璧な男性像として、神としてみていた。それだけに、1978年に達雄が急死した時は、激やせしたとの証言もある。どうであれ、尊敬してやまなかった父を失ったことが、精神的崩壊への引き金になったであろうことは十二分に考えられる。

22年前の今日、わが国で起こった悲劇。

月並みすぎる表現で読者にはインパクトに欠けるかもしれないが、渋谷駅から徒歩15分程度の場所で起きたこの「東電OL殺人事件」を、今こそ風化させてはならない。なぜか。それは、今日をいきるすべての人間が、「渡辺泰子」になる可能性および危険性を孕んでいるからにほかならない。彼女は恐ろしく寂しかったのではないか。心にぽっかり空いたその穴は、年収1000万円でも、カルロス・ゴーンの保釈金10億円でも埋められる性質のものではなかった。それ故なのか、泰子先輩はあたかも「巫女さん」の如く、そして1960年代アメリカ合衆国のジャニス・ジョップリンのごとく、手当たり次第、性行為に没頭した。肉体を奉仕した。泰子は当時、今で言う「うつ病」だったのではないか。しかし昼間は、大企業にしっかり通勤し、5時からは Sex Workerに変身した。しかも土曜日は、五反田の風俗店に勤務。でありながら、毎日必ず神泉駅夜12時34発の終電下りに飛び乗り、自宅のある西永福駅で下車し続けた。

ある意味で、彼女は正真正銘の、神がかり的に勤勉な女性であった。

2019年4月から、オーバーステイの外国人は、ますます増える。それは、すでに述べた通りだ。ネパール人、中国人、ヴェトナム人、韓国人、フィリピン人、ブラジル人、インドネシア人。在留外人260万強、訪日客3100万人の今日、犯罪も急増する方向にある。「ゴビンダ被告」予備軍も無数にいる。日本文化および伝統をしっかり守り伝えていくことの重要性を今さら強調するまでもないが、同時に心象操作に腐心し「外人労働者は悪質」なる結論ありきの捜査で嘘をでっちあげる日本の警察、司法の旧態依然の体質も当然ながら改める必要がある。繰り返すが、ゴビンダ氏が15年もの服役の後に釈放されたのは、わずか6年半前の2012年であることを忘れてはならない。

また、なにも日産を「私物化した」とされる同社元会長のゴーン氏の肩を持つつもりなど毛頭ないが(22年前の事件とは、単純比較はできないとはいえ)、少なくとも渡辺泰子さんの殺害事件の一連の流れを見る限りでは、わが国の国家権力は極めて横暴な一面をも持っていることが露呈された。己の利益のためならば、不法滞在の外人に仕事と住居を紹介し、また冤罪など屁とも思わないモンスターたちが今もなお渋谷署、原宿署、新宿署、丸の内署にいないと一体誰が断言できよう。

厚生省の不正統計も、籠池さん夫妻もアッキーもモリカケも、レオパレスの偽装工事も、なにもかも、すべては己の利益のみを優先するあまり他者を顧みないという、みみっちい我欲に囚われた小心者たちの小細工以外の何ものでもない。僭越ながら、ぼくも聖人からは相当遠い煩悩まみれの在野の即興詩人にすぎないとはいえ、そう考えると「東電OL」だった泰子先輩は己の身体を張って究極の社会奉仕にその一生を捧げた、まさに聖人であった。ミクロ経済から、マクロ経済まで分野を問わず全力疾走したその生き様には、頭が下がる。

日蓮聖人ならぬ泰子聖人。

泰子と同じ教室で学んだ者として、もう一つ。佐野眞一が用いている彼女の「転落」というフレーズだけは、不正確に響いたのはなぜだろう。世間的には “downfall” なのかもしれないが、泰子は東電なる「無菌室」から、その肉体を商品化する、つまり800年前の鎌倉のストリートで辻説法した日蓮の如く、路上で生の人間一人ひとりに語りかけた。「お茶を飲みましょうよ」「セックスしませんか」。決して凡人にできる芸当ではない。世間体、なる仮面を被った一億総画一社会のJapanにおいて、そして会話を放棄しスマートフォンに精神を毒された21世紀の我々現代人に対し、20世紀末を生き切った泰子はiPhoneも持たず、アプリもダウンロードせず、ひたすら身を粉にしてデジタルでなく生の言葉を円山町で、行き行く人々に投げかけたのだ。その姿をふと想像するだけで胸が震えるのは、なぜだろう。それはきっとおそらく泰子の方が、自分よりも真の人間らしく毎日を生きた、真っ直ぐに人と向き合ったからではないのか。堕落、転落、と太宰治チックに失格レーベルを貼るのは簡単だ。しかし、いったい我々の誰が泰子を蔑むことができよう。綺麗事をいうのは誰にでもできるし、失敗者になる可能性なんて誰にだってある。

少なくともぼくは、昨日、そして今日とその命日に偶然巡り合った渡辺泰子聖人に、とてつもなく大きな宇宙をみた。確か岡本太郎だったと思うが、女のセックスワークを見下すのはおかしい、男だってみな身体を切り売りしているじゃないか、と読んだことがある。そう考えると、泰子は不運にも父の死の哀しみから抜け出れぬまま、内面で狂的な葛藤と闘いながらも究極の辻説法を繰り広げた、まさに偉大なる魂だった気がしてならない。

渡辺泰子聖人。

遅ればせながら、彼女に敬意を表したい。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

谷山雄二朗